こそぼのじかん(補足編)

笠井潔編『本格ミステリの現在』の中で笠井潔は、新本格派ミステリ作家の綾辻行人の『十角館の殺人』のセリフを引用している

「だから、一時期日本でもてはやされた《社会派》式のリアリズム云々は、もうまっぴらなわけさ。……やめてほしいね。汚職だの政界の内幕だの、現代社会の歪みが生んだ悲劇だの、その辺りも願い下げだ。ミステリにふさわしいのは、時代遅れと云われようが何だろうが、やはりね、名探偵、大邸宅、怪しげな住人たち、血みどろの惨劇、不可能犯罪、破天荒な大トリック……」

このあたりから新本格派が《社会派》を敵対としての射程にいれていることがわかるだろう。

また笠井潔は社会派ミステリを同著で以下のように語っている。

朝鮮特需を飛躍台として日本経済は戦前水準を回復し、一九六〇年代の高度成長期に雪崩れこんでいく。しだいに第二次大戦の国民的記憶は薄れ、世界戦争の体験をジャンル的な基盤としていた戦後本格は、必然的に足下を掘り崩されはじめる。昭和二十年代における第二の波は、三十年代の前半までに終息したといわざるをえない。空洞化した本格ミステリは、松本清張を中心とした社会派に圧倒された
(中略)
本格と変格もろともに、「お化け屋敷」の一語で葬った清張風の社会派ミステリも六〇年代の高度成長と、戦後社会の成熟の過程で風化の度を深めた。初期清張の社会派ミステリ傑作の緊張感は、「もはや戦後ではない」と語られはじめた五〇年代半ば以降の、相対的な安定を達成した日本社会と、つい昨日のことでもある戦中・戦後の悪夢にも似た混乱期との劇的な対照に、作品的な源泉が見出されていたからだ。
六〇年代安保と六四年の東京オリンピックを通過した戦後社会において、初期清張の方法は困難性をまし、社会派ミステリの内部解体が進行した。新聞記事で騒がれたような「社会問題」を作中に織りこんでいれば、それで社会派の面目が立つという類の安直さは、高度成長の産物である新しい都市的な意匠をちりばめていれば、それでよいという頽廃に陥らざるをえない。

ここには社会派の本格派に対するアドバンテージと立場とが描かれている。また社会派が陥ってしまった頽廃についても言及されている。


コメント欄でラノベ系のミステリと新本格派の繋がりについても書いた。これは『ファウスト Vol.1』に掲載された「清涼院流水スーパーインタビュー」を参考にした。これはインタビューというよりは編集長である太田克志と清涼院流水との対談と呼ぶべきものである。

―――流水さんに代表される七〇年代前半生まれの作家さんは、ミステリで「綾辻以降」を意識して世に出てきた最初の世代かもしれないですね。
それに、なによりも編集者・宇山日出臣の存在が大きい。流水さんや僕は紛れもなく「宇山チルドレン」なんですよ。

流水:そうですね。太田さんはつねづね「宇山日出臣の最後の弟子」と呼ばれたいと仰っていますけど、僕もそういう感じですね。宇山さんに見出されて初めて世に出ることができたのですから……

同インタビューによると宇山日出臣は「新本格派ミステリ」のプロデューサー的存在であったという。

また舞城王太郎佐藤友哉西尾維新について太田克志は以下のような感想を述べている

彼らのお母さんは流水さんとおなじサブカルチャーなんだけど……父親は、これは僕が勝手に見立てるかぎりにおいては、新本格の第一世代の作家さん方が父親にあたるんですね。なんというか……図らずしもできてしまった子どもというか……彼らはそんな感じがする。

これらから新本格派からラノベ系への流れというものが見えてくると思う。新本格派は社会派への意識を持っていた。そして新本格派からの影響で清涼院流水舞城王太郎佐藤友哉西尾維新が出てきた。ならば、社会派ってのは(意識の中だけかもしれんが)生きてるのじゃないか。司馬遼太郎と比べて松本清張は生きているんじゃないか?って話。