空気系雑感

「空気系」ってのはヲチする対象にはいいわな。えー、勿論「空気系」という言葉を使う人たちのことです。どうして「空気系」に注目が集まり、「空気系」という言葉を使うのかと。

セカイ系」と「空気系」の違いはなんだろうね。「セカイ系」には女の子がでてくる。でも男性(男の子?)からすると女の子とつき合うってのは社会と繋がっていくということだわな。小林秀雄は「女は俺の成熟する場所だった。 書物に傍点をほどこしては、この世を理解して行こうとした俺の小癪な夢を一挙に破ってくれた。」といっている。情けない言い方をすれば「彼女のいないやつに営業職はむかない」みたいな。こういう「社会」を脱色したものが「空気系」ってことでいいのかね。

「空気系」が「空気派」と呼ばれていないことに注目してもいいかもしれない。ようは作家や作家達の行動ではなく、作品群への名付けが「空気系」だわな。劇画は「劇画系」ではなく「劇画派」だ。あれは作家達が自分で名乗ったものだし。決して名付けられたものではない。オタクは「オタク派」でもあり「オタク系」でもある。まあ現在両者とも「系」でしかないのだけども。

「空気系」というならば「非空気系」についても考えなくてはなるめえ。アフタヌーンでは一時期「世界の終末」を描いた三つの作品が同時に連載されていた。遠藤浩輝『EDEN』、芦奈野ひとしヨコハマ買い出し紀行』、鬼頭莫宏なるたる』。さてこのうちのどれが「空気系」で「非空気系」なのだろう?