外山つくちて

事あるごとに、ゆすり、たかり、ごまかし、嘘を吐き、言い訳をする。日々駐車場を逆走し、コンビニでゴミを捨て、買い物カゴを盗み、ファミレスで作り直しを命令する生まれながらのテロリスト。市民的なツラでユニクロを着込んだ人間が逆切れしたら、革命家に転ずるかも知れん。だがそういうのは、ブログや、ストーカーや、違法ダウンロードや、奨学金を踏み倒したり、母ちゃん泣かすのに忙しい。アナーキズムは性癖としてのみ発揮され、ロリマンガを読みながら過激な性教育に反発し、ジェンフリを馬鹿にしつつ部屋には『少年愛の美学』が転がっている。さもなくば、カルスタを援用して、好きなだけ癒されりゃいいさ。

かのような場所で、ファシストアナーキストテロリストを自称するのは、欺瞞だ。プレハブ、ショッピングモール、パチンコ屋、エロビデオ屋つるぺた幼女CGと、それが入った外付けHDD。それらに囲まれて、美術館に鎮座するスーパーフラットな芸術を崇めるのは、身の程しらずだ。ただし、その欺瞞を見つめなけりゃ、そこからしか物事は始まらない気がする。欺瞞を忘れるのでもなく、癒すわけでもなく、ただ凝視すること。年の取り方を間違えたてめえのツラを、ネトゲで疲れた自分の眼で見つめること。

外山恒一が京都にやってきたので見てきた。場所は京大熊野寮。噂どおりの場所だったが、昔近所にあった障害者施設を思い出して、少し懐かしい気分になった。途中、トイレに行きたくなったので、黒いヘルメットに「R」の文字を入れた過激派風のスタッフに尋ねた。「汚いところですが」と言われて「いえいえ、ありがとうございます」と答える私。「過激派に注意」と張り紙がされた地下鉄から歩いて10分ぐらいのところに、熊野寮はある。まー、昔根城だったのだろうが(詳しくないし、知りたいとも思わない)、今はこのような市民的人物達に占拠されている。黒へルは、会場と寮の撮影の禁止、携帯電話をマナーモードにするように告げた。

会場は食堂で、畳が臨時に敷かれてある。観客は100数十人。女性は数えるぐらいしかいない。例の政見放送が流れた後、外山恒一が入ってきた。

外山恒一の風貌は、寺の若住職。またはギャグの上手い塾講師、商店街の2代目、気のいい工員といったところだろうか。サラリーマンの顔じゃない。かといって頭が悪そうな顔ではない。ヒネクレきったすえに、そのことにやっと開き直った部室の兄貴分という感じ。例の政見放送から受ける「ニッチもサッチも行かなくなった、コンプレックスまみれの卑小なファシスト」とは全く違う。

始まって早々、外山は「あの放送の、あの喋りとポーズは全くの演技。誤解するな」というふうに語った。ぶっちゃけっぷりが面白いが、「選挙じゃ何も変わらないんだよ」とメタ芸をかました人間が、ここでもメタ芸をかましているともいえる。油断はできない。「でも内容は真剣だ」というと、会場は少し静かになった。「ビラ配りをすると捕まる。言論の自由が守られるのは選挙運動だけ。だから選挙にでた」という。会場は、ますます真剣みを帯びる。

外山は一方的に喋るのが苦手だと言って、いきなり質疑応答にはいる。「生計は?」という質問がいきなりでる。外山曰く、所謂「流し」らしい。80年代のニューミュージックを、オッサン相手に歌うとバイトより稼げるらしい。またもいきなりスタッフがギターを渡し、外山を歌わせる。ブルーハーツ。上手い。世代的にモロだという。私は全共闘くずれのオッサンが、バブル景気に毒を吐きつつ、ブルーハーツを絶賛する『ボーダー』というマンガを思い出したりした。

1999年に外山が行った「投票率ダウンキャンペーン」の話が始まる。「投票率ダウンキャンペーン」というのは、福岡県知事選に「無届立候補」し、選挙のボイコットを促すポスターを貼りまくるという迷惑かつ電波かつ政治的パフォーマンスとして質の高いテロ作戦だ。案の上、刑事に踏み込まれる外山先生。「おまえがやったのはわかっている」「いや、違う。アレはポスターを贈った友達が貼ったんだ」と醜い言い訳をする外山。その醜さをあえて語る、会場の外山恒一。恐るべきメタ芸だ。

その他裁判の話を色々聴く。裁判でもパフォーマンスを繰り返し、刑罰を膨れさせていったいう。それと都知事選の感想も聴いた。「浅野より石原が好き。」「選挙後石原と対談したかった」のだそうだ。サヨクが、小異を捨て、浅野で結束する中で、この発言は異様で清清しい。焼きがまわりすぎているともいえるが、見ている分には面白い。高校時代の反管理教育運動の話をしているときは、あまりにも真剣で、これだけはネタではないと思った。「あの頃は、仲間を探す旅とかやって、痛かった」と言う。いや、いまの貴方も十分痛いって。

このような話が一時間半ほど続いた(細かい部分で間違いがあるかも知れない。あったら謝る。)。スタッフがこの後は、グッズの販売があって、熊野寮生と外山恒一とのコンパがあると発表する。外部の人間はコンパに参加できないらしい。外山が「どうにかならないの?」というと、「規則でして」という。「今回も無理を言って寮の食堂を提供してもらっている。トラブルがあると再び会場使えなくなる」とのこと。全くの正論だ。少し怒りを感じてしまった自分の幼さを恥じた。だが、ヘルメットとマフラー姿の人間に「規則」を言われるのは、なんだかシュールだ。「官僚主義め」という声が脳内で響く。それに外山先生は、「少数派」とか「スクラップ&スクラップ」の人じゃないか、その人間を呼んでおいて大人な物腰をみせられてなあ。仕方ないといえば仕方がない。ただ今は、この愉快な対比を楽しんでおくとしよう。

最後に外山先生自ら2000円のTシャツを売る。同人誌即売会という趣。いやそれ以下である。客に頼まれたTシャツをダンボールから探り出し、手渡し、金を受け取る。一人で黙々と、若干焦りながら。すばらしい。煉獄とはこんな世界なのだろう。自分は2000円のTシャツを買わなかった。行列の並ぶのは趣味じゃないし、2000円あれば本を買って、飯を食う。それが少数派ってもんだぜ!と脳内で粋がって、家路に着いた。あばよ外山つくちて!


今、yoututubeに以下のような動画がアップされている(ところで外山曰く「政見放送MADもいいけど、オリジナルが一番」だって)

ここで外山が歌っている『アナーキー・イン・ザ・UK』の「I,I wanna be anarchy In the city」って歌詞、「wanna be」=「なりたい」ってのはある種の上昇志向だ。上昇志向としてのアナーキズム。京大で、大人で、官僚主義で、左翼趣味な黒ヘル。これらと所謂「下流社会」と、どっちがエッジが効いているか?と言われれば、無論後者だ。けど、自分は前者の甘さ、ぬるさの中でしか生きられないわけだけども。