90年代の思い出

90年代のテーマを一つだけ挙げるとするなら私は「リアル」を挙げたい。「現実に戻れ」「現実を見ろ」「リアル・ポリティクス」等などの言葉に破壊的な感触があったと思う。福本伸行新井英樹や、いましろたかしを真剣に読んでいたような記憶がある。「碇シンジは私だ」という物言いは今から思えばバカそのものだが、碇シンジの隣には伊藤カイジや宮本浩がいたわけである。彼らの姿に自分を映し出し、「リアルだ」と思うのは当時の感覚からすれば普通であったように思える。

ところでよく知らないがシンクロフスキーという人によると、リアリズムの本質は「非親和化」にあるということらしい。「リアル」は90年代「サブカル」のテーマでもあったように思う。ならば、現代のオタクブームの一翼には、「リアル」=「非親和化」を求め続けた結果、毛嫌いし続けた「オタク」に着陸した「サブカル」連中も多数含まれているのではないか。と思える。鈴木みそとか。

かつて「オタク」バッシングをした人々が「オタク」をリスペクトしているのは不思議でもなんでもないかもしれない。何故なら「サブカル」にとって彼らがバッシングし続けた「オタク」は居心地の悪い、「非親和」なものであるからである。

「昔サブカルとオタクは一体だった」ということは知っている。でもこういう一面もあるんじゃないか、と。

何が言いたいのかといえば、「オタクブーム」にゃこういう経緯もあったということだ。正気の「オタク」はいつ梯子を下ろされてもいいように準備しておくべきだろうし、「サブカル」は「オタクブーム」が不毛なものに終わらないようにアレコレ準備しておくべきだろう。「リアル」がまだ続いているなら、「オタクブーム」は絶対に終焉する。

以上は私の思い出だが、これもまた小さいが一種の「歴史」であると思う。忘れずにいたい。