シロクマと京都。チョコが欲しいと言う事。

http://d.hatena.ne.jp/i04/20080211/p1
大変に有意義なオフであった。多謝!シロクマ先生。もふもふ腹毛に付いていた赤色はアザラシの血液だと判りました。ですが、黄色い液体がアザラシ脳漿なのかアザラシ脂なのか判りません。オフ会中ずっと疑問に思ってました。

以下感想。めずらしく強調とかを使ってみた。うまくできるかな?


西洋生まれの「文学」を日本人は十分に体得できない。そして「文学」を体得できなかった日本「文学」でさえも、私たちは遠く離れて生きている。その彼が『Fate』は「文学」などと叫ぶ。ならば「ケータイ小説」も「文学」だろう。


小難しい本は差異化ゲーム・優越感ゲームのために存在するのではない。自分が日常生活でえた全知感を破壊するために存在する。「俺って頭いい」というナルチシズムの袋小路でこり固まった頭をほぐすために小難しい本はあるのであって、てめえを肯定するためのものではない。


俺理論で世の中をぶった切る。そして俺がこの世の王として君臨する。ってガキが横行する中での個人主義の重要性。自分の活動範囲内空間の「善」を志向するミニマムな生き方と、かといって公共心を捨てきらないバランス感覚。


・自分から遠い人間の毒には当てられにくく、自分に近い(似ている)人間の毒には少量でも当てられる。そして喧嘩ばかり。遠い人間とマターリ付き合おうぜ。>それってゾーニングじゃね?>いや、ネット自体がゾーニングだろ。


「バレンタインデー爆発しろ!」とか言っている奴はツン。しかしこれは甘えではないか。「本当はチョコレートが欲しい。ボクの本心をわかって」って意味だろ。チョコ欲しかったらそう言え。言わなきゃわからないって。私は君のママじゃない。
http://d.hatena.ne.jp/yasudayasuhiro/20080210#p2


非モテは社会的問題ではない。単なる流行である。一つの意匠である。


非モテの流行は、需要が多く、供給が多いことにある。色恋沙汰は下品だが面白い→需要大。二十代の男がモテるはずがない→供給大。よって流行する。流行すれば、「はて☆スタ」「ブクマ」が付きやすい。そうすれば承認欲求が満たされる。普段スルーされている弱小ブロガーにとってこれは嬉しくてたまらない。その後彼はブログの当初の目的を放棄し、非モテ論壇まっしぐら。そして論壇内の危険な優越感ゲームに明け暮れ炎上。南無。


・屈託ないコスプレ小娘。小奇麗な若い衆。等に囲まれて、同人誌即売会の会場の隅で、鬱屈としているオッサンオタク。苦しそうで、かといって年相応の風格の無い顔と服装。これで同人誌が一昔前の絵+無洗練だとツライ。


90年代サブカルの不毛を悟ったサブカルが、東浩紀村上隆辺りを経由して今日のオタクブームの一翼を担っている。だが、90年代のサブカルってオタクバッシングしてたような。「オタクはコレを読め。これこそがリアルだ。現実を知れ」とか言ってような。君らいつから転向して『苺ましまろ』読んでるの?


・おそらく、この手の人間はサブカルに回帰する。そして今日のオタク文化へのコミットを隠蔽するだろう。その時のために、それっぽい人のキャッシュを保存しておこう。


・オタク化したサブカル東浩紀辺りを支持。んで見出された東的理論の都合の良い部分をオタクがキャッチ。そして一人の屁理屈オタが今日も誕生する。


俺軍隊を率い、俺理論を叫び、装甲車の上に立ち、「俺について来い」と叫びたい日ぐらいはある。これを批判するために、レズ幼女本を読んでまったりすることなんてのは、所詮欺瞞だろう。フルカツさん。ガンガレ。


id:i04の旦那のシロクマ絵を通してか、シロクマ先生の文章を読めない。それと彼の描く「ブルマ+太もも」は大変けしからん。