小汚いスクイズ雑感

スクールデイズ』を10話まで観た。柄谷行人がどこかで言っていたことだが、人は他人が欲するものを欲するのだと、そう思った。

誠はモテまくり、それが災難を引き起こすわけが、なぜ駄目男の誠がそのようなハメに陥ったのかを少し考えてみよう。

誠は駄目男だ。言葉は女の勝ち組だ。だが、女の勝ち組の言葉が好きになりはじめることによって誠には大きな「価値」が生まれる。少なくとも、誠が男子生徒の(水面下の)競争を勝ちぬき、言葉をえるだけの実力を持った男ぐらいには思われる。

誠は言葉と付き合いだした途端、世界にも好かれだす。なぜなら世界は、誠が言葉と交際するということは、誠が言葉と同じぐらいの「価値」を持った人間だと考え始めるからである。その「価値」をえるために、世界は誠を好きになる。それは誠が言葉と親密になる(彼が難攻不落の女を落とせる実力を持ちはじめる)に従って、強い感情になっていく。ついでに、勝ち組の言葉から誠を奪うことは、下克上でもある。女王を引きずり降ろし、自分が女王になるのだ、と。こんな感じで女たちは「価値」を、「力」を得る為に、始めはあまり気にしていなかった誠に、思い出したかのように接近する。

無論、このような事態は言葉にとって地獄だ。言葉は女たちに苛められている。この状況を生き抜くためには、「力」=誠が必要だ。女たちからインフレ的に「価値」を高められている男を膝元に置くことによって、「自分は苛められているかもしれないが、おまえらの欲している男を所有している。私は女王だ!」と彼女は主張したい。ゆえに言葉は、誠に捨てられた現実を、女王から奴隷へと転落した姿を認められないし、他の男に言い寄られても拒絶する。彼女が欲しいのは「愛」ではなく「権力」だ。

誠は、女たちのこの紛争をしらない。自分はモテはじめた等と全能感に浸っている。バランス感覚の無い駄目男な彼はさらに暴走し、誠を得ることこそが「権力」の道と誤解した女たちはそれを許す。

この手の状況が、刃物という物理的な「力」によって、幕を閉じるなら、それはとても清々しいではないか!このアホどもを打ち殺すようなラストシーンは、逆に倫理を帯びている。つまり中古女は死ね(違う!)

話を飛躍させるに、「ヤンデレ」というものの一面も、それは新種の意匠や性癖というよりは、「人は他人が欲するものを欲する」的な何かだと言えはしないか。「ヤンデレ」という価値をいかに他人から、思い出したかのように、奪取するか?他人の欲するものをいかに解釈し、手元に置くか。この手の雅比べ的権力闘争に、鉈が振りおろされ、世界に「ナイスボート!」の声が鳴り響く日を、小汚い私はどこかで待ちのぞんでいるかも知れない。

ナイスボート!誠死ね!そして俺が誠になってやる!グギギギギギ