私の彼は左巻キ

時代の奇書、海猫沢めろん『左巻キ式ラストリゾート』を読了。なかなか救いの在るラストやないけ。作者も救われたことだろうて。オタクと現実とは等価である。ということだけども、オタクの真の敵というか対比物は現実なのか?といわれると難しい。

オタクの敵はよく似た風貌の癖にオタクという方法を取らなかった人ではないか、と。

これを観て知ったのだけど開高健の風貌は全くオタクで。彼のようなスタンスを支持したであろう、大谷「フィギュア萌え族」昭宏は早大解放派久米宏とつるんでいたりと。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%AD%A6%E9%80%A3)
まーなんといいますか、オタクの敵は他のユースカルチャー、「サブカル」やら「学生運動」ではないかと。

話は飛びまくるが、この作品はメタに溢れている。作者と同名のキャラは出てくるし、聖書を引用する犯人やら、エロゲを引用したエロゲ的世界等等。ただ、メタに立とうとする手法は、ドンキホーテ以来の文学の正道であって、本作はその正道に従っているともいえる。だから、くそややこしいことなる。なぜポストモダン系の人間がこの作品を愛好するのだろう?とか。

まーでもおそらくそういう読み方は間違っているのだ。「鬼ノ仁の絵と本作の相性は悪いと思います。」「エロシーンは普通なのに他の部分はぶっ飛んでいます。」とか言うのが正しい。

ところで中原昌也は本作を読んでいるのだろうか?