人生の反省会

オタクといえばロクデモないものという刷り込みがある。中学生のときに、イジメられっ子かつ両親が別居中かつバカ。という地獄のような境遇の人間と遊んでいたのだが、この男が好きだったのが、天下のあかほりさとるである。私は生きた根本敬マンガである彼に西川魯介田丸浩史を薦めておいた。彼曰く「わからん」。

人生の反省会2

大学の授業に出ずに大学の図書館に篭って論檀紙を読みふけっていた頃、東浩紀が『ユリイカ』でleafのエロゲの図像を引用していたのを目撃した。ああいうものと決別するために糞面倒臭い本を読んでいるのに、困ったもんだなあとか思うのと同時に、微かな興奮を覚えた。エレクチオンのことではない。

さてゼミの教授は三浦雅士のファンだった。構造主義の人で、マルクス主義やらその他左翼を嫌っていた。カルスタも取り扱っていたように思うが、その政治臭には敏感だった。「先生!東浩紀とか柄谷行人ってどうですか?」「ああそれ嫌い。」「大澤真幸は?」「難しいのは最近読まない」

私はなんも知らんのだ。ということにやっと気付いた。で、ナショナリズムというものがあることにも気付いた。それからまた糞面倒臭くなってきた。なんも知らんのだ。

人生の反省会3

高校の時分。文芸部というオタク部があったのが、私は入部しなかった。やつらがラノベばかり読んでいるからである。そのラノベの中には今日ではビッグネームとなった作品も混じっていたかも知れない。上遠野浩平とか。

大学に入ったばかりの頃。友人が『kanon』にハマッた。私はそれを無視した。で、なぜか私は柄谷行人日本近代文学の起源』に出会った。

歴史というものはそこら中で混線しているのだ。南京で30万人ほど人が死ぬことは、不思議でもなんでもない。そんなふうに最近では思っている。するとまた訳がわからなくなる。

人生の反省会4

お父ちゃんは戦争に負けた。兄貴は政治で負けた。でも私たちは経済で勝ったんや!その経済は90年代にポシャッタ。「私たちは戦争に負けた。政治に負けた。経済でも負けた。でもまだ文化が残っている!僕らのオタク文化で勝つんや!」
とか言っていたのを『動物化するポストモダン』は「文化っていうけど、それってアメリカ文化のバリエーションの1つやん。お前らは動物化=アメ公化してんだよ!」といって批判した。

んでなぜかオタクはブームになっている。親米もブームだ。アメ公に勝って、上の世代を超克するための「文化」は歪められて、現代は始まる。

人生の反省会5

「美」しい国、「愛」国心教育、こういう言葉使いがされている中に、「萌え」という言葉は叩き込まれている。「美」や「愛」という真理と直結する言葉をズラす役割を「萌え」は持っている。

じゃあ「萌え」が政治批判的意味を持つかといえば、これが全く全然。鎌やん先生のブログに萌え絵が載っていないことや、先生がマンガ家として読まれていないについて考えるといいかも知れない。

んで「萌え」を理解できるやつが今何をやっているかといえば嫌韓

ところで『撃論』の西尾幹二原作のマンガを読んだのだが、主人公の顔がもりしげ先生のよう。他に目についたところはクオリティの低さ。青木雄二の弟子が青木クオリティなのと一緒なのだろうか?

ところで何だこの感じ。
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