びわこタワー、ひこにゃん、香巴拉の門、オフ会1

http://d.hatena.ne.jp/i04/20080312/p1
オフ会に行ってきた

「今日はお日柄に恵まれまして」と苦笑いしながら言う。陽気で花粉が飛散して、目と鼻がかゆく、冬着のままのなので暑くて仕方がない。

目的地の一つである琵琶湖タワー跡に向かう。そこには遊園地の廃墟が!そこで遊んだ幼い日の思い出の残骸が!ってなことを予想していたのだが、きれいさっぱり撤去されていて、全くそのようにさえも思えなかった。遊園地跡にはヤマダ電機イズミヤが建っていた。まさに郊外化!なわけだが、中は新しく綺麗で、カオス臭がした琵琶湖タワーと比べりゃはるかに快適だ。

でも、建設当時世界最大であった観覧車「イーゴス」は未だにそびえ建っていた。近づいて眺めてみると、白の塗装が剥げて、斑模様の赤錆柄になっていた。何よりも、この「イーゴス」ってのは巨大で、廃墟にある哀愁ってものが全く無い。枯れておらず、とてつもなく下品だ。廃墟を愛でようとする根性の悪い人間突き放すような、遠近感の無い、ただただの巨大さがそこにはあった。

琵琶湖タワーってのはモータリゼーションの結果生まれた遊園地だ(「雄琴」もモータリゼーションの結果生まれた歓楽地だ)。ならば、その跡地にヤマダ電機が建っても、別に何も変わってないのではないか。何も私たちは失っていない。同時に、琵琶湖タワーもヤマダ電機もインチキでしかないように、未だ私たちは何も得てはいない。どうせ、ヤマダ電機も数年後には廃墟になるのだ。


遠近感を喪失したショッピングモール。遠近感を失わせる観覧車の残骸。目的の無いランドスケープ。てめえの扁平な顔。平坦な戦場。


湖岸道路を伝って、彦根城に向かう。とても関西とは思えない田園と湖岸の風景が広がる。「なごむなー」というと参加者の一人が「でも住んでる奴は地獄ですよ。」という。「文化から取り残された土地ですからね。尖がった奴も生まれてきたりするけど、彼にはニコニコ動画をみて、土壁を叩くぐらいしか自己を主張できない。それとwinnyっすね。winnyのうp神化」

彦根城近くも見事に「郊外」化していた。滋賀県を貫く8号線沿いの風景が、ここにまで伝播していると思うと、悲惨な気分になる。彦根は観光地として見ると、同県の長浜市より失敗しているだろう。そのお陰で嫌味な観光客のいない上品な観光地になっている。まあ、「ひこにゃん」効果でどうなってるかは知らんが。と思って彦根城に入ると、ひこにゃんの姿が全く見えない。土産物屋に少しグッズが置いてあるだけで、彦根市民のスルー力には感心した。

彦根は古い町だ。地方分権だった江戸時代の地方中核都市だ。城下町だった市内は車では走りにくいが、こういう街には良い飲み屋があるんだ。というような展開にはならず、近くのスターバックスに入る。「スターバックスはキレイな郊外化ってやつですね。DQNがいなくて快適だけど、無印良品っぽい良男・良女はムカつきますね」いや、そこまで言うのはどうかと。ただ、スタバ○マクド×ってのはアホ丸出しだろ。

んで以下はスタバで話したこと(つづく)

びわこタワー、ひこにゃん、香巴拉の門、オフ会2

鎌やん先生と徳田しんのすけ先生をリスペクト。
有村悠さん、辺見九郎さん、フルカツさん、シロクマ先生、高橋直樹さんをリスペクト。
・四海鏡さん、kanabowさん。後は任した!
・僕の好きだった「はてな」が下品になってきたよ。
・クネクネとかdisり合いによって生まれるものもあるけど、それ自体が目的化するとやばいぜ。
・穴だ。穴を掘れ。
・研鑽を積んで脱オタファッションを装備。これで誰からも笑われないぜ。と思って街に出たら、DQNが堂々とスウェット姿で闊歩。俺の苦労はなんだったの?という展開に。
DQNが女を連れていることは確か。でも、君達の好きな「委員長」「メガネっ娘」「ヘッドホン少女」「ヤンデレ」「サークルクラッシャー的女性」を連れているところをみたことがない。よってDQNにコンプレックスを抱く必要は全然ない。何度も強調しておく。
・社会派ブロガーをバカにしてはいけない。彼らは高学歴である。つまり、幼い頃から研鑽を積んできたかつての神童たちである。その彼らが、「コミュニケーション能力」を問う社会から爪弾きにされ、大学の同期の出世を横目に、あるべき姿の社会を説いているのは「真剣」かつ「切実」なものである。侮っても、嗤ってもいけない。
・郊外型の店舗の市場圏は飽和しているやも。
・中古本・中古DVD・中古市場は飽和している。
・んで、DL販売やP2Pやレンタル・マンガ喫茶が充実しはじめて、存在意義も薄くなっている。
・オタクは新品か、winnyで落とすから、中古を買わなくなっている。んで顧客層がDQN化している。売れるのは週刊少年誌系と高橋ヒロシ系だけ。田舎の場合、青年コミックも少女マンガも売れない。いうまでもなくサブカル系・オタク系も売れない。浅野いにおが6ヶ月売れなかったり、かがみふみをが無視されたり。
・よって店員の意識も、週刊少年誌系と高橋ヒロシ系にしか向かなくなり、大友克洋永野護が叩き売られたり、そのまま倉庫にいったり。山田花子が200円で売られたり。
・それを俺が漁る(え)
・田舎のオタクはつらいよ。
・相対的にレベルが低いから、仲間内ですぐに天狗になれる。天狗のままネットを眺めると、レベルの差に愕然として、ぐれる。どっかに噛み付いたりする。返り討ちに会う。いつの間にやらニコ動のコメント職人に転向。
・ブルマ=エロというわけではないらしい。女性にとってあれはあれでかわいいものであるらしい。グロいことをすると嫌がられるが。
・中学2年ぐらいでスカートの下にブルマを履いていると、女子スクールカースト的に「底辺」とみなされるのやも。でも、万年ブルマ娘ってかわいいじゃないか。「DQN」も「エビちゃん」も「女子アナ」も、単なるビッチじゃないのかよッー!!
・ここで山野さんの登場である(http://illust.g.hatena.ne.jp/i04/20071118/1195355911

つづく。

びわこタワー、ひこにゃん、香巴拉の門、オフ会3

オフ会では、「はてな」のことより、マンガ界隈と絵師界隈の話を濃厚にした。


歴史は終わってしまった。マンガ史が、「メインカルチャーに如何に接近するか」という歴史であるならば、それらはほぼ達成されたといってもいいだろう。これは喜ばしいことであるのと同時に、その目的から逆算する形で付与されてきた「価値」が喪失してしまった事態でもある。

評論家はそれでもなお、マンガに「価値」を見出すことができる。マンガの快楽を読み出すこと。マンガに「社会」を読むこと。しかし大抵の読者は、そこまでは至れない。彼らはこういうだろう。「よくできた作品」「ウェルメイド」と。

「よくできた作品」「ウェルメイド」が溢れかえった世界を、一つの物語に紡げるだろうか。そして、ノスタルジー以上の過去、歴史として位置づけることができるだろうか。


いや、ここまで大げさな話じゃないけど、快楽天やホットミルクや「ハイエンド」系と言われていた作家群は一体どうしているんだろう、と。彼らはマンガ史のロスジェネではないだろうか、と。

基本的に捻くれたオタクであり、洗練されてかっこよく、エッジを効いたことを散発し、同人界で「我らの時代の絵師」ともてはやされ、雑誌の表紙を飾り、テクニックを披露し、まとまった作品を残さず、上の世代からは未だ「誰それ」な作家群。

下の世代には無自覚なフォローワーを生み出し(ラノベのイラストとか)、彼らに食われてる作家。「うん。そんなに面白いなら単行本貸してよ。代表作ってなに?」と聞かれると大変にこまってしまったり。


「同人なの?短編なの?それでもいいから貸してよ?」
「いや、そんなに面白くないし。完結も完成もされていなくて、でも、この絵すごいでしょ。オチもノリもいいし。」
「いや、それって作品じゃないじゃん。それに今からみると古いよやっぱ。」
「えー。」
鳴子ハナハル貸してやるからよんでみ。」
「えー。」
というような作家。


なんか雰囲気があるのはわかるけど、いつになったら彼は投げっぱなしの短編を描くのを止めるの?
いつになったら長いのを描くの?
いつになったら非成年誌で、「天才現る」と言われるの?
というような作家。


同人を書き、商業誌の兄弟誌に短編を描き、エロ本に顔を出し、それらをチャンポンにして数年に一回単行本をだして、マニアのブログから賞賛されるような作家。ラノベのイラストを描き、アニメの雑用をし、エロゲに関わり、換金できないブログで面白い記事を書き、自分のHPの掲示板に浸り、マルチクリエイターというよりは、派遣労働者に近いような作家。しかも天才。もしくは、天才肌。


んで、もう一回いうけど
「上からは未だに誰それ?な作家」
「上からは未だ新人扱いの作家」
「下からは無自覚にフォローされて、いまいちリスペクトされていない作家」
天才達は、如何にして、マンガ史に名を刻めるのだろう?

そしてその作家を血眼で追いかけた読者たちはいまどこに。まさかハルヒとか、いとうのいぢとか、石恵に行ってるわきゃないわな。

それ以前に、オタ界隈の移り変わりは激しい。活躍どころか、生存することが第一目的な世界だと思う。ロリコンブームからどれだけの人間が生き延びられたか。んな世界は喜ばしいものか、と。

サブカル系は、四季賞→アフタ・IKKI→メジャー青年誌みたいなルートがあるけど、オタクが出世するのはどれぐらいのルートがあるのか。特にひねくれた天才オタ作家は如何にサバイブできるのだろう?下には屈託の無いガキどもが待ち構えているのに。無論、その読者達も、だけど。

びわこタワー、ひこにゃん、香巴拉の門、オフ会4

ネット系の絵師の話も濃厚にした。

ネット絵師界ってのは、まさにバトルロワイヤル状態で。上手いのが星の数ほどいて、しかも移り代わりが激しい。流行は去り、絵師の才能のピークってのも存在する。そして次々とニューフェースが出現する。その中で如何にして生き残れるか?

○○のように描ける。ってのはとても重要だろう。石恵のように塗れる。瀬浦沙悟のように重い乳が描ける。シマパンが描ける。ニコ動の流行に敏感だ。など。

しかし、これらは楽しいだろうか。ウケりゃ楽しいに決まっている。でも、この手のフォローワーは流行が過ぎるといたたまれない状態に陥ったりする。作家としての才能+肉体のピークが過ぎたのに、未だ若いヤツラを追っていたり、と。んで手元には何も残らない。ガキから「古い絵」と言われて凹んだり。

ネット絵師ってのは、ネタや絵が古くてもいいから、とにかく自分の好きなことに忠実にやるべきだろう。というと「青いな」と言われるだろう。でも、ネットでは自分の好きな事を惜しげもなくすると、なぜか探し出してくれて、ファンが付いたりするから。「80年代の○○」のように描ける、「あの頃の○○」のように描ける絵師をファンは確実に探している。十代の頃に刻まれた感性やら、わけわからん性癖を満たしてくれるのを、人は探してもいる。

だから堂々と好きなことをやりゃいいじゃないか、と。「自分は終わった」「最近の流行はわからん」と思わずに、描き続けることが肝要。という話をした。

それと過去絵zipでくれ