いまさらシロクマラジオ感想2
シロクマ先生がラジオで仰っていた「(小さな)共同体」というものを、アレコレ妄想してみる。
彼が生まれた家族や地域的共同体は、彼が積極的に選んだわけでもないのに、所属が決まっている場合がある。そこにおいて「愛」を得るのは比較的容易い。しかし、そこから抜け出すのは全く容易ではない。それが彼にとって全く「愛」のないものであった場合、彼はかなりの苦労を強いられることになる。
会社のような集団は、彼が積極的に選んだ集団である。きっぱり縁を切るのは容易い。家族・地域的共同体に比べれば流動性が高く風通しは良いが、「愛」を得るには、政治力・権力を行使し、丁々発止の日々を送らなければならない。まったくゆっくりできない。
そして、これらの中間に位置する集団があると思う。学校の「クラブ」のような集団だ。
「逃れられない家族」と「生きるか死ぬかの勉学」の間の緩衝材として「クラブ」というものは存在していると思う。人によっては学生時代にこの集団によって「愛」やら「癒し」みたいなものをえたのではないか。勉学の息抜きや、家族からの逃避場所として「クラブ」に熱中した人もいるのではないか。
しかし、「クラブ」も地獄になりうる場合がある。その「クラブ」が強い目的意識を持っていた場合、レギュラー組と控え組みの確執みたいに生きるか死ぬか的世界になってしまうことがある。また文系の趣味サークルであっても、その趣味に対する能力によって順列が決まって、優越感ゲーム渦巻く大変にギスギスした集団になることもある。となると、ゆっくりできない。
ここで思いつく理想の集団は目的意識の低い「クラブ」的集団である。しかし、「ナンパサークル」のように、ここでは恋愛が前景化したりする。恋愛には政治力・権力・丁々発止がつきものである。まったくゆっくりできない。
ならば恋愛が発生しない目的意識の低い「クラブ」的集団ってのはどうか?おそらくシロクマ先生が思い描いているのはこういったものであると思える(それか自主的に築いた家族だ。)。それが可能であるか?は知らない。ただ、オタが熱狂する『らき☆すた』『あずまんが大王』『ハルヒ』には、恋愛を抜いた(百合でカモフラージュしたor隠蔽した)ゆっくりできる「クラブ」的な生活が描かれているように思う。無論、『究極超人あ〜る』みたいなのを想起してもいいだろう。また昨今は、この手の「ゆっくりクラブもの」とでも言うべきものが増えているのではないか。
「入学した主人公が、わけのわからんクラブに入って、クラブ内の恋愛で強い葛藤をせず(または百合もので誤魔化して)、なんとなくゆっくりする」というようなものが、なぜか俺の本棚に並んでいく。
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