中央線を僕らの環状線に(もふもふオフ感想1)

菅野よう子の『娘フロ。』を聴く。しかも「超時空飯店 娘々」を延々と。なぜか村上知彦『イッツ・オンリー・コミックス』を片手に。梅雨時の電車の中で、少し昔の事を思い出していた。

僕は、うどんを食いながら、パタPがフタナリ少女に犯されるエロ同人のことを思い浮かべていた。学校は文化祭だった。こういう祭りの時には、どうも居場所がない。ベタなオタクとは自意識の関係上つるめなかったし、かといってそれ以外の集団には入れてももらえなかった。まあ、当人の勝手である。仕方ないので寂れたスーパーの食堂で飯を食いながら時間を潰していた。ソフトクリームを頼んだところで、担任の英語教師がやってきた。叱られて連れ戻されると、もう文化祭はクライマックスだった。邦楽を大音量で鳴らし、女の子が踊っている。長ズボンのジャージのすそを膝上までまくって、少し下を向きながら、大汗をかき、それでも楽しそうにやっている。今から思えばハルヒ的風景だ。女の子はバニーガール姿ではないけど、雑音を拾うスピーカーからベースとドラムの音が体育館を揺らした。思わず感動しそうになった。少しぐらいは泣いたかもしれない。でも、僕は、感動している自分を心の何処かで、大笑いしていた。「なんでそんなに歌詞がポジティブやねん」みたいに。南無。

同人誌=エロだった。しかもアンソロジーであることが望ましい。表紙の絵師が中で描いていないと最強だ。アレな絵でパタPがオナホ代わりに使われているようなハズレを掴まされ、表紙の絵師が中でマンガを描いているのを探し出してみると、絵師はカラー絵だけ上手くマンガは下手で、死にたくなった。それでもなお、と買ってみる。諸星大二郎を買うはずの金が、ダメマンガに変わる。

ダメと言うのは問題発言だろう。でも、やはり私はアニパロ同人文化というものを、エロ以外の意味では全く理解できていない。しりあがり寿吉田戦車とり・みき唐沢なをきのパロディの方がやっぱり好きだ。

『COM』=「ぐら・こん」によって初めてぼくらはさまざまな活動を知り、さまざまな同人誌の描き手の存在を知り(それは既成作家より数等魅力的な作品を生み出してさえいた!)、ぼくらこそが「まんが」なのだということを知ることができたのだ。『COM』=「ぐら・こん」はぼくらの「党」だったのかも知れない。そしておそらく『COM』の『COMコミックス』への移行が、ぼくらの「六全協」だったのだ。ぼくらの「全共闘」は、今日に至るまでいまだ生まれてはいない。

村上知彦『イッツ・オンリー・コミックス』

このような歴史と熱量から、今日の界隈はほぼ無縁である。『COM』も「全共闘」も知らなくとも、Winnyでエロ同人を落とすことは可能だ。どうせ俺らもぬるいのだ。若いのをヌルいと言えば、それは自分に戻ってくる。だから俺もテキトーにぬるく空気が読めないように振舞ってみよう。それらがウッチらの文化ってやつじゃないか。耳元で坂本真綾が「デカルチャー」と歌っている。