セクトといえば少女セクト Part.B

竹熊健太郎唐沢俊一といった強靭なディレッタント達がいる。後から遅れてオタク界にやってきた人間、例えばオタク第三世代や「はてな」的人々は、彼らと、どのように渡り合うべきか?そして如何にして領地を切り開けるか?それが原野商法だったとしても。

幾つかの方法論があると思う。


・彼らのようななディレッタントになること。
彼らを戦車に例えるなら、こちらも戦車で立ち向かうこと。正々堂々としたやり方だが、鍛錬までに時間が掛かる。なにせこの方法で勝ったところで、それは彼らの方法論を打ち倒したことにはならず、むしろ彼らの方法論に屈したことなりかねない。


・彼らの苦手分野で戦うこと。
彼らが、オタクのくせに、エロゲ・ラノベ・萌えに弱いなら、そこを突くこと。戦車にRPGで立ち向かうこと。有効な戦術だが、エロゲ・ラノベ・萌えに戦車を打ちぬけるほどの破壊力があるか否かは未だに怪しい段階にある。同時に、彼らにしてみればゲリラ的ともいえる戦術で彼らを打ち倒したところで、彼らは敗北を認めないかも知れない。うん、エロゲもいいよね。僕はやらないけど。的に華麗にスルーされるかも知れない。


・戦いの地平をずらすこと。
趣味に対して、政治や学問で立ち向かうこと。戦車に爆撃機で戦うこと。趣味の聖性を、「個人的なものは政治的なもの」と渇破し、粉砕すること。「面白い」「下らない」の一言で済まされる作品に、過剰な意味を読み取り、学術論文化すること。趣味人を未会人のように見つめ、フィールドワークし、天下国家の役に立てること。東浩紀ポストモダン論、宮台真司サブカル論、アキハバラ解放デモ、カルスタといったものは、この戦術に含めていいと思われる。小林よしのりという不条理マンガに追い出された旧時代のギャグマンガ家は、なぜ国家を語らねばならなかったのか?なぜ『嫌韓国流』の絵が下手なのか?を考えてみてもよいだろう。ただし、この手の方法論は趣味的な怠慢を招きやすく、趣味という地平で最終的に、彼らを打ち負かすつことはかなり困難である。戦車を打ち破るのには、やはり地上軍が必要なのだ。オブイェークト!同時に戦車と思われた車両が、対空車両である場合もある。オタク文化新左翼運動の隆盛は反比例の関係にあると言ってよいだろう。そして爆撃機は戦闘機にやられてしまう可能性がある。衒学・wiki学問な人間は、本物の学術やに負けてしまう!


・戦場で戦わないこと。
戦車に憲法9条で立ち向かうこと。いうならば、脱オタインティファーダきんもー☆


最後に一言。趣味は勝ち負けではない。勝ち負けで図ろうとする人間は、劣等感に苛まれ過ぎている!おまえの人生を再確認しろ。同時に、趣味は快楽だけではないことも事実。趣味は闘争。闘争という趣味。かくして今日もサーバーに血風が吹く。チェックのシャツからはみ出た腸管が、電気街に散らばる。

政治とオタクとの混合にはかのような経緯があると思う。彼らは、政治参加と同時に、オタクという闘争の地平をずらし、勝利する為にデモをした。と思う。

それとカルスタというものが、大学でとりあえずは認められたことは大きいとだろうて。東浩紀だけの影響ではない。

ところで、この手のサヨクに知的緊張はあるのだろうか?マルクスと喧嘩するつもりのサヨクは緊張していたと思うが、「同級生がネット右翼だった。コイツらを見下したかった」的サヨクに知的緊張なんてもんがあるとは思えない。まー、現実的緊張はあるのでしょうけど。でも、ストーカーと襲撃だけは勘弁な。