よかった動く自由なカナダ

近所のパスタ屋がネットカフェに変わった。貧乏人は麦を食え。俺ぁあんたの声を忘れない。幼女を釣りに連れて行くんだ。パスタの王様なんだ。あけましておめでとうございます。

今年の目標はなんといっても戦争っすね。国体との同化、国民ではない者たちの排除。かつての碇シンジや伊藤カイジたちのための人類補完計画そんなものはどうでもいい!

市民ではなく、国家のための戦争。国益ではなく、この私のための戦争。栄光と拡大のためではなく、死者と破壊のための戦争。これこそが必要なのだ!福田恒存はいう

が、この十年ぼくたちの常識を超える精神はもはや作家のかわになく、国家や社会や日常生活のかわに移ってしまった。国家は個人の企てえぬ戦争という大芝居を打ちはじめた。社会や日常生活はおもいもかけぬ大穴をそこここに設け、犬も歩けばやたらに棒にぶつかった。くだらぬ凡人も国家的殺戮に重要な役割を演じたし、すくなくともそれを目撃することぐらいはできた。闇屋ですら常識を驚かすに充分な生きがいある生活をしている。

福田恒存私小説的現実について』

戦争を知らない子供たち」と嘯いた人間たちが築き上げてきた常識をぶっ壊すためには戦争しかない。一撃を、今年こそは。

CD屋でジミ・ヘンドリクスのCDを「年季の入ったCD」「古く価値のあるCDと話す奴がいた。いうまでもない。原盤はCDではなく、レコードである。西村真悟は議員を辞めないらしい。ホリエモンは捕まった。西尾幹二は「つくる会」を辞める。宮崎勤は死刑だ。ジミヘンのギターをコピーしたいのだと、男はいった。無理だよ、身の丈にあわねえよ。再び福田恒存

ぼくにとって二流に徹するということは、私の真実に徹することであり、そのかぎりにおいて、私小説的文学以外になんの真実もありえぬというぼくたち日本人の絶望に徹することを意味するにほかならない。ぼくたちの現実が変わらぬかぎり、ぼくたちは執拗にぼくたちの絶望を固執しなければなるぬ。―もし希望というものが生まれうるなら、それはまさにこの絶望のうちからである。とすれば、ぼくたちはこの絶望を観念によって救おうとしてはならない。

同上

戦争はおそらく今年も起こらない。近隣諸国がキーキーいってアメ公が威張り散らすだけだ。ジミ・ヘンドリクスも『Imagine』も鳴り響きはしない。耳元でSound Horizonが流れる。