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物語られた歴史historyは、見直し=revisonの可能性についてつねに開かれている。見直し=修正を拒否する歴史は、イデオロギー的に絶対化された歴史である。だから修正主義revisionismという言葉も、かつては必ずしも悪い意味ではなかった。

高橋哲哉『歴史/修正主義』(岩波書店、2001年)

生まれたときに、もう歴史は終わっていた。小林秀雄もジョンレノンもこの世にいなかった。ポストモダニズムはブームにまでなっていた。ポストモダンと称された社会に劇画原作者狩撫麻礼は毒を吐きつづけた。しかし彼が強くインスパイアされたというレゲエミュージシャンも、もうこの時には死んでいた。「Stand up for your right」「Don't give up the fight」という叫びは遥か遠くの世界で響いているだけである。

年長者たちの体験が歴史へと接続していくのに対し、私たちの日常と嗜好はけっして歴史へと繋がっていかない。彼らは私たちの愛すべき「小さきもの」を鼻で笑うか、「君たちの経験は特別ではない。かつてそのようなものはあった。」と諭すだろう。彼らの啓蒙を前にして、取ることのできる行動は幾つかある。

一つは、歴史を捨てることである。共通の愛すべき「小さきもの」を持つ者と戯れ、動物呼ばわりされることである。

もう一つは、自分の愛すべき「小さきもの」を捨て、父や叔父や兄たちと同じものを「正史」として享受することである。与えられたものに何の疑問も抱かず、年長者の財産の引継ぎを正当化する者は、半ば馬鹿にされながら「第三世代」などと呼ばれることになる。

或いはこういう手もある。父や叔父や兄たちの「正史」に対し、もっと「大きなもの」を提示して、自分たちこそがその「大きなもの」の正統な継承者であるかのように振舞うことである。父や叔父や兄たちではなく、「祖父」を想い、「歴史」を改変し、修正すること。そういう道を辿るものは修正主義者と呼ばれ、ナショナリストを自称する。

羽生生純のマンガ『恋の門』に私は違和感をもってしまう。ボーイミーツガールを描いている点において本作は成功しているかのように見える。社会的階級と趣味的住み分けの全く異なる二人の傷つけあい、愛し合うさまをネタではなく本当にやってしまった羽生生純の胆力は稀有なものであろう。しかし『恋の門』のヒーローとヒロインは果たしてお互いに「他なるもの」であったのであろうか。

この二人は親の「資産」に対して従順であるという点で極めて似通っている。親がオタクであり、自分もオタクになったヒロインについては多くを語る必要はないだろう。また主人公にしても芸術家の父親を模倣したかのように芸術マンガになってしまったという親の遺伝子に忠実な人間である。

彼のこだわる「石」マンガは皮肉のようにしか見えない。オタク的なものがコピーされ続け、無限に増幅してくものであるのに対して、決してコピーされない単独性の結晶である「石」。しかし「石」はマンガ界において最もリスペクトされパロディの対象にされたつげ義春の『無能の人』のコピーに他ならない。彼は放浪の旅に出る前についこのように口ずさんでしまう。「先人のように」と。もし彼が「石」であるならば、先人のように振舞ってはいけない。先人に対抗し、そして対抗をしていることを隠蔽しなければならない。おそらく彼にはそのような自意識があまりにも欠けている。

そもそもこの二人はマンガを描くということを自明なこととして捉えすぎている。なぜコスプレオタクがマンガを描かなければならないのか、なぜ芸術家がマンガを描かなければならないのか。なぜ二人は「マンガ」という環境において出会ってしまい、そしてその環境は何故成立したのか。二人は芸術について考え、オタクについて考え、男や女について恋について考えた。しかし彼らは「環境」については考えることができなかった。「資産」が積み重なってできた「環境」については。

会田誠というアーティストがいる。永江朗のインタビュー本『平らな時代』によれば、会田の父は新潟大学社会学の教授、母はウーマンリブの入った元理科教師。家庭には日教組的、朝日新聞的、NHK的な雰囲気が濃厚に漂っていたという。いうまでもなく彼は『紐育空爆之図』を描いた。私のいうナショナリズムとは、会田誠のようなスタンスのことをいう。「資産」や「歴史」や「環境」の外に立つということ、立とうとすること。『恋の門』は「芸術」とオタクとの出会いである。また会田誠も「芸術」とオタクとが出会った所に生まれた。勿論、両者はあまりにもかけ離れている。

いわゆる「イラク人質バッシング」は興味深い事件であった。ナショナリストがキレたのは、彼らの非国民ぶりだけによるものではないだろう。そんなことよりはむしろ、彼らの生き方、処世の仕方にキレたのではないか。親が左翼なのに左翼になってしまった少年と、土地成金の娘。そして彼らは臆面もなく「イラク」「平和」「反戦」という大義を叫ぶ。叫ぶことができる。これこそまさに「階級化社会」ではないか。

ネットウヨの醜さ、よりも彼らの「資産」に対する従順さのほうが私には気持ちの悪いもののようにみえた。しかし、ナショナリストといえど彼らと無縁ではないだろう。「日本人」というマジョリティに生まれてしまった以上、私たちは何らの「資産」を受けついでしまっている。「Stand up for your right」という歌に自らを映すことも、この歌を笑うこともできない。

迷走している。うまく結論を出すことができない。村上龍の小説に『テニスボーイの憂鬱』という土地成金の息子の放蕩を描いたものがある。その文庫版の解説を福田和也が書いている。長く引用する。

僕たちが、初めて酒場に足を踏み入れた頃、まだ、辛うじて、神話時代の残骸の、埃のように微かな名残が漂っていた。疲労した表情を隠さずに押し黙った遊び人たちが、溜池の歩道に乗り上げたアメリカ車を乱暴に取り回して、女も連れ出さずに走り去るのを呆然として眺めていた夜明けから、僕たちはその名残りに頬を叩かれるようにして、遊びとは何かを仕込まれる、長い、終わることのない修業時代に入った。西麻布のバーで、何が悪いのか解らない裡に、友達と二人、横に座っていた客に酷く殴られて起き上がれなくなった。ディオンヌ・ワーウィックが唄う、バート・バカラックの、『雨にぬれても』が流れていた。子供独特の無謀さで、同じ店に数日してから行き、酒の頼み方がなっていないと殴られたのだと、ぼそぼそした喋り方をする暗い顔をしたバーテンに聞いた。何を、何時、頼んだのが悪かったのか、全然解らなかった。今でも解らない。ただ、解ったのは、酒には呑み方と云うものがあって、それを違えると膝が震える程殴られるというような事が、世の中にはあるのだ、と云う事だけだ。
 それから、しばしば、その恐ろしい店に行くようになった。カウンターは厚い亜鉛で覆われ、指紋の跡一つなく、鈍いくぐもりの裡に光を吸い込み、そこに金属めいて輝くほど磨かれたグラスから水滴が落ちると、水銀のように疾った。私が頼んだマティーニを、実に丁寧に、陰気な緊張感のもとで作り、グラスを差し出す一呼吸の間に、視線を合わせる事なく、彼は尋ねた。「お兄さん、徒労って言葉を知っているかい」

ナショナリズムは「徒労」であるか?という問いに私はうまく答えられない。福田和也は、そしてテニスボーイはこの「徒労」後に何をみたのだろう。