歳暮エヴァンゲリオン

なんや。いま吉見俊哉『カルチャル・ターン文化の政治学』ってのをパラパラ読んでたら、NHKの番組改変のことが載っていた。驚いた。この改変自体は結構当時から話題になってたんだ。知らなかった。問題なのはなぜ今、NHKに圧力をかけた社外の黒幕(本文によれば、会長周辺から強圧的に出されたNHK上層部の「業務命令」によって改変は行われたらしい。)が発覚し、結果として安倍が狙い撃ちされることになったのか、だ。

いや、ちょっと違うな。
今から誤読をしてみる。眉唾物として聞いて欲しい。

東京・九段坂で開かれた「女性国際戦犯法廷」の取材には、海外メディア95社200名がやって来た。フランスのルモンドやアメリカのワシントンポストなどもそれには含まれていた。そして法廷の結論(天皇裕仁に有罪判決、日本政府に謝罪と賠償を求める)は海外17ヶ国86紙によって報じられた。「17ヶ国」という点に奇しくも「ポスコロ」的なものを感じてしまうのだが、少し無視することにする。吉見はこう結ぶ。

女性国際戦犯法廷の主催者たちが、あえて国家の法廷に対抗する市民の法廷を実現させることで<法>の公共性を問うたように、<メディア>の公共性もまた決して一部の巨大資本や「公共放送」の支配者たちのものだけではあり得ないのである。

「17ヶ国」の「ルモンド」「ワシントンポスト」等の「クオリティーペーパー」が報じた被告が不在の裁判によって問われる<法>の公共性とは、どのようなものになりうるのだろうか。

「<メディア>の公共性もまた決して一部の巨大資本や「公共放送」の支配者たちのものだけではあり得ないのである。

この言い方は、女性国際戦犯法廷の主催者たち者であるのと同時に、ネット系の右翼のものでもある。そういう意味で彼女らと私たちは同じ地平に立っている。吉見は本文の別の場所で、メディアの受け手の多様な存在であるといい、メディアの送り手もまた一枚岩はないという。もちろん弱者も一枚岩ではない。
俺たちには38度線はないけど、平和線ならあるぜ。

んー、違うな。寝まーす。