一人一殺としての文化

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080615/p1
直接には関係ないが、ちょっとだけ関連のある話。

福田和也がどこぞの対談で
「最近の経営者は文化的教養が無い。どこぞの銀行の頭取は相田みつを読んでいる。」
みたいに言っていた。まー、嘆かわしいことではあるのかも知れない。ただ、社会的エリートに文化的教養がないみたいなことは、ある種ありがたいことではある。

なぜか?といえば、詩情を持たないエリートに、詩情を持つボンクラは心の中では負けないからである。「やつはエリートだが単なる野暮」とボンクラはあざ笑うことができる。無論ここには「やつは金持ちだが、ガンダム読んでやがる。ハイラインぐらい嫁。」「やつはリア充だが、ビーズなんて聴いていやがる。」「セレブ?んじゃ、西洋哲学ぐらいやってるだろうね?」「一流企業に入ったやつのブログ読んでいたら、『水からの伝言』読んどったorzついでにコヴァも。日本はホロン部」「やつは大学の講師。んでオタク文化にも詳しい。だが奴のエロゲ観は穴だらけ。俺が矯正してやる。」が入っても良い。情けないといえば、そうだろうが、まー、ありがたいことではある。文化に絞れば、ボンクラはエリートに、心の中では負けない。麻生太郎?あー、単なる野暮ね。俺だったらもっと面白くやってやるよ!と床屋の親父に威張ることが出来る!素晴らしい!

ただ、文化的教養を持つエリートが出てきたら、どうか?その時は、一緒に飲もうぜ!
ところで李登輝は西田哲学に詳しいらしい。ああ台湾に生まれてこなくて良かった。