ポストエヴァと遠藤浩輝『EDEN』

さて、おそらくはエヴァの影響圏にある作品に『EDEN』というマンガが挙げられるはずです。『EDEN』に出てくる「原父」「ノマド」という言葉は、衒学+キリスト教風という点でエヴァそっくりです。

『EDEN』は他者を問題にした。しかし『EDEN』はポストエヴァになれなかった。連載開始当時、エヴァにひりついたものを見た人間は、この作品と作者に注目したように思います。
http://d.hatena.ne.jp/yasudayasuhiro/20080321#p1
と書きましたが、これの元ネタというかイメージは遠藤作品からきているものもあります。

『EDEN』という作品を無茶苦茶簡単に説明します。まだ完結していない作品ですし、自分の誤読も多く含んでいるかも知れませんが。

ウィルスによって世界は滅んでしまった。特殊体質で生き延びた少年と少女が、ゲイの科学者と共に孤島で生活しているところから『EDEN』は始まります。この風景は、まさにセカイ系的な想像力だと思います。しかし、世界は滅んでなかった。終末の世界に甘美なものをみていた少年は、世界に引っ張り出される。そして世界は復興しつつも、テロや貧困が渦巻くサバイバルを要請される悲惨な世界である。そこで少年は麻薬カルテルの首領になっていく。ここにおいて、「セカイ」的な想像力は放棄されていると思います。

主人公はこの男の息子です。彼の生きる世界も決してセカイ的とは呼べない。彼は好意を持つ売春婦のために、警察やマフィアと戦わなければならない。また、警察もマフィアも、ウィルスによる災害と、この世界の重さを背負っている。

色々はしょっていますけど、イメージとしてはこんな感じです。決断主義的と読みうることもできるかも知れない。ただ、この作品がエヴァの直後に描かれたことは注目できると思います。「エヴァ以降」は、『EDEN』のようなイメージに覆われる可能性があったと思います。世界は終わらない。そして世界は他者に満ちている。その中でサバイバルすること。

しかし、『EDEN』は『ハルヒ』のように「ポストエヴァ」と呼ばれなかった。そしてアフタヌーンの隅にひっそりと掲載されている。『げんしけん』のヒットの横では、このようなマンガが作られていて、それは今日も連載をされている。無論、ここから大化けする可能性もあります。

『EDEN』が『ハルヒ』のようになれなかったのは、そのストーリーが冗長であったためか?作者の技量の問題なのか?それとも読者の想像力のせいか?は取り合えず完結を待つべきでしょう。ってこれだけ言ってなんですが。

ただ、『EDEN』という作品が「エヴァ」直後に生まれたのは確かです。そしてその横を『ハルヒ』が駆けていったことも。このことは後々響いてくるかも知れません。なぜ『EDEN』ではなく『ハルヒ』だったのか?

(マンガ版のエヴァは読んでいない)