世界樹と迷宮。生きながら北極に葬られ。(ラジオの感想など)

世界樹の迷宮2』がバイト先に3本入ってきた。が、一本も売れていない。自分の生きている場所が、地の果てであることぐらいは覚悟していたが、ここまで売れていないと中々に切ない。相方のガキに「世界樹の迷宮ってしってるか?」と聞く。案の定「知らないっすね」と返される。よせばいいのに「ネットじゃ有名だぜ」と言ってしまう。さて、と。どうしたもんかね、自分よ。


バイト先は自分の好きなCDをかけられるので、ジャニスジョプリンのCDをよく聴く。洋楽には全く疎いし、調べる気も起こらないので、彼女の事はぶっちゃけ何も知らない。ただ、福田和也『南部の慰安』のタイトルは彼女の愛したリキュールからきているものであることから、興味を持った。それと確か西原理恵子が彼女のコスプレをしてたんだっけ?無頼ってイメージを先行させて聴きはじめたら、素晴らしい歌手であることを知った。

メルセデスベンツ』って歌が好きだ。「働いてもつまらない。だから神様、カラーTVを買って!それと友達に差をつけたいの。ベンツをちょうだい!お願い。神様!」って歌だ。葬式屋と、ペットホテルと、スナックに囲まれた場末の郊外型ディスカウントショップでバイトしている身としては、切実なものが描かれてると思い、勝手にバイト先のテーマソングにしている。

ただ、この歌が、ある種の救いとして聴けてしまうのは、彼女がメタな視点をもっているからだと思う。情けない風景を見下ろせることが可能であること。この「可能」さが自分にとっては救いだ。もし、バイト先にかかっている歌が、日本人の歌うリズム・アンド・ブルースやヒップホップだったら最悪だろう。ベタ過ぎて、切なくなってしまう。だからガキよ、そういうのを好んで店内にかけるのは勘弁してください。


http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080223/p1
シロクマ先生のラジオを拝聴した。このラジオを聴いて、ヤンキーみたいになろう!と思う人が居るとするならば、大きな間違いであると言っておく。ヤンキーは街中を堂々と歩いている。ヤンキーはコミュニケーションが上手だ。これらは事実だろうが、高いコミュニケーション能力が求められる職場に彼らの姿は無いってのも事実だ。そういう職場もあるだろうが、大抵世間的に胡散臭いところであると思われる。大体、一流企業にヤンキーなんていないだろうて。

要するに彼らは、世間から排除されているのだ。何故、排除されているかといえば、それは粗暴だからである。何故、粗暴かといえば、彼らには劣等感があるからだ。何故、劣等感があるかといえば、彼らは世間から排除されているからだ・・・ってスパイラルの中にヤンキーはいるので、ワザワザ積極的に飛び込む必要もないし、彼らに劣等感を持つ必要もないように思われる。飲み屋で姉ちゃんに聴いてみ?粗暴な客なんてモテるわけないて。ただし、ヤンキーを手下に使う職場の親分格はものすごい人物が多くいるように思われるので、彼らのことは大いに参考とすべきだろう。

世間で上手く生きるには、世間を上手く生きている奴の真似をすべきだろう。ってのが私からの提案。しかし、これが全く上手くいかない。なぜなら、私なんぞはそうだが、世間で上手く生きる奴が嫌いで仕方なく、それどころか心の中で見下しまくっているからだ。そんな糞みたいな奴の真似なんぞできるか。真似なんぞしたら負けじゃないか。と思っているから彼のようになれない。

んで、学ぶことは真似ることなのに、それらを放棄し、抽象的な議論を始める。真似りゃ、すぐ終わる話なのに、「そもそも世間とは何か」「俺とは何か」「上手くやるとは何か」etcと考え始める。これらが、有益な学問に繋がったりもするので、全てがイケナイ事ではない。しかし、大抵の人間がたどり着く結論は決まっていて「世間が間違っている」になっちまう。「正直者がバカをみるなんて、間違っている」と近代的進歩的だったはずの人間が封建的道徳を説き始める。んで「世間が間違っている」的テロリストになる。んで、「やっぱり自分が悪かったのか」と思った人間と、あの世で出会ってしまう。ごめん言いすぎた。(このあたりの議論は笠井潔『テロルの現象学』に書いてあったような気も)

上手くやってるやつのケツを本気で舐めれば、それなりのラインまでいく。でもケツを舐めるのは嫌だ。無論、ヤンキーなんて駄目だ。ああ、勿論死にたくなんてないさ。なんか良い方法はないですかね。あったらZIPで上げてくれ。神って読んでやるからさ。お願い神様!