ウホッ!!いいフェミニスト

非モテ」+過激派スタイルがなんでつながるの?ってはなしね。推測になるが。

非モテ」ってのは、フェミ二ズムが見落としたマイノリティって見方がある。んで、フェミニズムは市民的というイメージがある。そしてフェミニズム(というか今日のアカヒ新聞的・『論座』的・小市民的・小金持ち的・無印良品的・自然食品的・生活保守心情新左翼)っていうのは過激派に対して後ろ髪をひかれるトコがある。「デモは楽しかった。社会運動はせねばならんだろう。しかし過激派ってのはいけない。あのせいで色んなものが滅んだ」と思っている。いうならば過激派ってのはオタク文化圏における宮崎勤みたいなもんで、コレに対して人は何らかの批評的(自分のスタンスを切り裂く様)に振舞わなければならない、と。

「フェミ」をおちょくるには、彼らが後ろ髪を引かれている「過激派」スタイルを彼らの目の前に提示するのは良い手だ。「フェミは弱者を救済するものだったのに、非モテを見落とした。根源に戻れ」って主張を「君のスタンスの根源、いうならば過激派スタイルに戻れ。過激派ってのを忘れるな」というコスプレによって伝えようとしている。「フェミ」に見落とされた事物を主張するのに、「フェミ」が抑圧しているものを持ってくるってのは嫌がらせとしては中々良いと思う。ただ「最近の子供は社会運動に興味を持っていて素晴らしい。僕らの果たせなかった夢を継いでくれ」と思われたらおわりだが。

いうならば、「フェミ」を討つのに、過激派スタイルで挑むのは、オタク第一世代(第二世代)への世代間闘争として宮崎勤を引用するようなもんだ。ただ、この引用が見事にスルーされると、人は「過激派」のコスプレをさらに先鋭化させて、戻れなくなるのでは?と思う。そのうちネズミ人間が目の前に現れる。

私個人としてフェミニスト個人は嫌いになれない。モテないからオタクになるのと同じぐらいの割合で、人はモテないからフェミニストになる。このやり方は他人事ではない。そして、ますますモテなくなるのにも関わらず、大義のためにフェミニズム的物言いを撒き散らす。無論さらにモテなくなる。この行動は男気が溢れていると思う。自分の見た事のあるフェミニストは、ゼロ年代にも関わらず、バブル絶頂期のファッションに身を包み、猫背で大学構内を闊歩していた。素晴らしい。彼女が男だったら惚れているところだ。アッー。合掌。

無論、フェミニズムを回避するマッチョイズムは、マッチョイズム足りえていないと思う。アッー