郊外私観

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080107/p1
なんか呼ばれた気がしたので、実感を書く。私は『ファスト風土』さえも読んでいないわけでして。だから、一人の郊外に生きる人間の感想だと思って社会学的に読んでもらいたい。
ちなみにhttp://d.hatena.ne.jp/yasudayasuhiro/aboutはフィクションです。ただし、事実もかなり混ざっている。


モータリゼーションは?
石油が高騰すれば、地方だけではなく日本全域の風景も幾分か変化すると思います。人の移動に占める電車の割合は大きいですが、物流に占める電車の割合は少ないと思います。つまり物流のほとんどは石油によってまかなわれているのでは?と。トラック、船、飛行機。これ無しじゃ流通は日本全域で成り立たない。ついでに電気も石油でできている部分もあります。維持・管理している人間もある意味石油で動いている。彼らの生活物資のほとんどは石油によって届く。

地方は貧しいってのは事実でしょう。ただし、貧しくない地方ってのもあると思います。例えば、「土地の安さ+空いた道路+安い人件費」を目当てとして、工場が誘致できたらどうでしょう?彼らの消費する場所として「郊外型」のお店が活況していると思います。(蛇足ですが郊外+工業ということでhttp://www.bestwool.jp/book/woolseminar_08.html←ここに書かれてるような大塚久雄の議論を少し思いうかべました。)
それと大都市のベッドタウンっていうのも貧しくない。地方ではとても売っていない物を都市部で買って、日曜日に生活必需品を地元の「郊外型」のお店で買う、というライフスタイルは確実にあります。それと地方ってのは一般的に人件費と地価が安いために、物価が安い。都市部で稼ぎ、地方で使えば、かなりお得な生活です。ちょっと違うかも知れませんが、京都市市民で市内で物を買わずに、わざわざ郊外まで出てきて物を買う人を私は知っています。彼らだけではなく、彼らには家族もいる。そのベットタウンの住民のためのものとしても「郊外型」のお店はあります。
これらは実感として、三重県滋賀県京都府京都市以外・大阪府の郊外が当てはまると思います。これらの風景は均一だと思います。滋賀県に働きに来ている京都人に「京都の南部は滋賀県みたいや」と言ったら納得されました。

何より、地方で車を維持するのは貧しくともできます。なにせ土地代が安いから、駐車用の維持費が安い。これは大きいと思います。それと当たり前ですが、車に乗ることは大変に楽しい。地方の空いた道路を飛ばすのは快楽です(ただしインフラ不足だと渋滞が)。家族でドライブ&ショッピング。一人深夜にブックオフめぐり。この快楽を維持するため、少々金が無くても人は我慢すると思います。

道路のインフラ整備はどうするか?おそらく行政は優先的にお金を回すと思います。広道沿いの工場・店舗は「税収+雇用」を生み出し、住民を維持してもいるわけで、おそらく道路は維持される。そしてそれは地方の土木建設業を維持するためでもある。


・「郊外」は「ポストモダン」か?
車に乗っているときは比較的気にならないんですが、駐車場から店舗の巨大な看板を見上げると、「なにがどうなっているんだ」という気分になります。まるで現代美術じゃないか、と。「ポストモダン」やがな、と。

ところで、近代化は「均質」化とも捉えることは出来ると思います。郵便の均一料金制や、標準語の設営はコレに当てはまると思います。ならば、「均質」な風景が生まれたことは、「ポストモダン」ではなく、一つの近代化ではないか。我我が幾多の困難を乗り越え達成した一つの成果ではないか。地方の人間でも、都市部の「郊外」と同じ物が買えるってのは良い事ではないか。深夜営業は私たちの行動の自由を支え、工場が24時間動くように、消費活動が出来る。

近代化というのは大げさでも、地方人にしてみればあの風景を見るに「最近は便利になったなあ」という実感があります。農協で高い機材+種苗を買っていた農家が、ホームセンターで安く物を仕入れることが出来るようになったのは、この「郊外」化のお陰です。これは嘆かわしいことではなく、素晴らしいことです。それと自分のことですが、地方の本屋はマニアックな新刊マンガ本がすぐ無くなってしまう。買い逃すと、一日がかりで電車賃を払って都市に行かねば買えない。ブックオフは買い逃した本や、昔出版されて今は地方には売っていない本を、安く買える本屋でもあります。コレは自分にとって夢のようなことでした。ブログの前文はフィクションなんで、正直に言いますと「輝かしいものがやってきた」と十代の私は思いました。

郊外化のお陰で、地方人は都市部に高い金と時間を費やして出て行かなくても、多少はよくなった。おそらく京都市駅前の近鉄が潰れたのは、このことと密接に関係していると思います。「郊外」化は地方にとっては一つの「近代」です。ただ、こう思ってしまうことは悲惨ではあります。友人が「最近俺の街にもモスバーガーが出来てね」と嬉しそうに語っていて、悲惨な気持ちになりました。ついでに私の家から最寄のモスバーガーまでは10kmはあります。


・(店の)治安は?
実感として言います。悪いです。DQNに防犯カメラは効きません。トイレを必要以上に汚す。ごみを捨てる。蛍の光の意味を知らない。万引き当然。脅迫あり。暴行あり。注意すると絡んでくる。他店で買ったものを返品にくる。レシート無しで返品を求める。細かいクレームをつけてきて(お釣りの1000円札が皺くちゃだとか)「どうしてくれる」と凄んでくる。しかもそれを消費者保護だと思っている。赤木智弘氏が「戦争!」と言ってしまうのは、彼が深夜のコンビニでバイトをしていることと無関係ではないでしょう。

さて、今後これらはどうなるか?わかりません。ただ、「消費者は店を思い、店は消費者を思う」って図式がぶっ壊れたのは確かでしょう。ならば、店も変な客にはそれなりの対応をしてくるようなるやも知れません。店にゴミを捨てたら訴訟。障害者用のカースペースに停めたら訴訟。とまでは行きすぎかも知れませんが、「ノークレーム、ノーリターン。警察よびますよ」ってな契約書とかを書かされるようになるやも知れない。

あとそれと、古物商とパチンコは警察と密接なトコがあるので注意しましょう。ヤクザがバックについてるゲーセンとか漫喫は、この世に存在します。



・んで「郊外」は、どうなるの?
ユニクロは中国の人件費が上がったらやばいかも知れない。ブックオフは違法合法のダウンロードやアマゾンと戦わなくてはならない。んで、「郊外」型店舗が出来すぎて市場が飽和+好況で人件費のコスト増+高級志向になったら、潰れた店舗が「郊外」立ち並んで、もっとポストモダンな気分になるかも知れない。無論、シロクマ様の言ったことが全て当たるやも知れない。

最後に。今から言う事は予想だけど、やはり「郊外」の風景は消え去るのではないか。美観を損ねるってことで原色巨大看板に規制がかかれば、見た目上の「郊外」は消える。いや、そんなことは問題ではない。

思うに、昔住んでいた所に行って、風景が変わっていないと思えたことが、どれぐらいあるだろう?昔懐かしい場所が、そのままに残っていることは、どれぐらいの頻度であるだろう。懐かしい「そこ」に行けば必ず風景に関して何らかの喪失感を人は持ってしまう、と思う。おそらく、日本の近代に関しては。江藤淳が幼少過ごした場所が連れ込み宿に変わっていて愕然としたってのは極端な例ではある。私は幼少を駅前の下町で過ごした。今そこに行くと郊外化の煽りで、商店は閉まり、代わりにマンションが立っていて呆然とする。ならばこの「郊外」も、何らかの原因で消えてしまうのではないか。

そのうち俺も老人ホームで看護婦相手に「昔、ブックオフってのがあってね。安く本を買えたんだよ。店員も客も無頼な輩だったけど、大きな声を張り上げて元気いっぱいだった。それと道路沿いにそびえる黄色い看板。キレイだったよ。」と美化した嘘の過去を話す日がやってくるかもしれない。