ジャンピングタイガー曜日

南京大虐殺について何か言おうと思うのだが、勉強不足も甚だしいので、特に言うべきことはない。
私達は60年以上前に起こった殺人事件を調べている刑事のようなもんだ。遺体は持ち去られ、証拠は散在し、証人は嘘をつきまくっている可能性がある。人間の記憶なんぞはいくらでも後から偽造されるもんだし、忘却もされる。無論、ややこしい利益が絡んでくるので嘘もつくに決まっている。そして偽証したって、誰かがこの嘘つきを法的に裁けるわけでもない。ならば、ちょっと勉強した程度の素人がこの事件について、断言するのは、暴挙といわざるをえない。大体、10年前の「ハイエンド系」だって何がどうなって有ったのか無かったのか微妙な訳だから、過去の調査ってのは基本的に難しいわけだ。

そして同時に、歴史問題ってややこしいのも絡んでくる。南京大虐殺の有無と同時に、この事件を歴史化せねばならない。しかし、いかようにコレが歴史化され、合意を得られるか?となると難しい。「ハイエンド系」は存在する。だが、それはオタク史なり、マンガ史において位置づけ、その界隈の人間の合意を得なければ、単なる思い出話か、過去の椿事のようにしか表現されない。しかし、歴史ってのは今必要とされているものなのだろうか。歴史っていうものは成立しうるのか?


南京大虐殺がある。謝罪する。これによって日本はユダヤ人問題を上手く処理したドイツ並の国になる。」
南京大虐殺がある。謝罪する。これによって日本はアジアの盟主になりうる。アジアと組めばアメリカに対抗できる国になる。」
南京大虐殺はない。謝罪しない。これによって日本人は日本人としての誇りを取り戻せる。これによって日本は良い国になる。」


ってことだが、ドイツ並みになりたいか?アジアと組みたいか?アメリカと対抗したいか?日本人の誇りを取り戻したいか?そして現在の物事をその目標への過程に組み込みたいか?と問われれば、多くの人の意見は大きく分かれる。それか「別にどうでもいい」と答えるだろう。

ならば、南京大虐殺有無が判明しても、私達はこの事件を歴史化できはしない。南京大虐殺が実在したとする。コレを歴史的な日本人の犯罪と騒ぐ人間がいる。これは日本史におけるノイズだと騒ぐ人間がいる。んなもん知らないという人間がいる。他の虐殺についても有無に関する具体的で局所的な騒ぎがあって、喧嘩したあと、喧嘩は忘れ去られ、また喧嘩が起こる。

ややこしいのでこれくらいにする。言いたいことを一言でいえば「南京大虐殺の有無を判定するのは難しい。判定しても、その事実を私達はどう取り扱っていいものか判らない。一番必要なのは困難さを知ることだ」ってことで。


最後に。私個人としては南京大虐殺はあったと思う。想像して欲しい。君は銃を持っている。そんな時に街中で下の画像のような男と出会ったとする。
http://image.blog.livedoor.jp/dqnplus/imgs/6/3/63e466d7.jpg(←この男ね)
君は「なああああああにが、ジャンピングタイガーだああ!しかも金よこせだとおおおおおおお。」と叫んで銃をぶっ放すだろう。それは極めて普通の事だ。誰だってこんなヤツが街中にいたら発作的に殺すに決まっている。え?殺せない。君は寛容な人物だから左翼になるといいいよ。今の左翼には寛容さが足りないわけだし。

中国に行った日本人はこんなヤツラに囲まれて大変だったわけだ。だったら仕方ないよねー虐殺ぐらい。でも中国人からすると、日本人の目にはナチュラルボーンテロリストにしか見えないジャンピングタイガー男も、一般市民に映っているわけで。「日本人は一般市民を殺した。残酷だ。」ってことになって摩擦が起きるという。ってのが事の真相ではではないか。



参考:http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/967991.html