日々の玉砕。知ったかぶり記。

本田透の本をほぼ読んでいないわけで、自分のスルー力・いい加減さ・何よりも知ったかぶりも堂に入ってきたなあ、と。宇野『ゼロ年代』の第二回を今頃読んだ。異論はないわけではない。右肩上がりだった戦後日本経済を底流に持った論壇(おそらく進歩主義ポストモダニズムもこれに幾分かは根拠をおいている)において、90年代以降の未曾有の不況には明らかに何かがあったと愚考する。だが、宇野の文章には「不況」って文字は出てこない。95年ってのは経済史的にみると、85年から膨れ上がったバブル景気が90年ごろに弾けて、終息していった年だ。バブル景気が終わって、「逆バブル」というかバブルの反省が終わったぐらいの年に、宮台はまったり生きろと言い、コヴァは日常に戻れと言った。でも、「まったり」と「日常」を生きようにも、「逆バブル」期以降に起こった金融通貨危機に代表される不況の本格化は、それを決して許さなかった、と。

ああ話が逸れた。宇野の細部は素晴らしい。彼は

美少女(ポルノ)ゲーム

と書く。この毒の吐きよう。んで「美少女ゲームはやはり女性への抑圧なので、私は敢えてこう書く」とか言い訳せずに、単に

美少女(ポルノ)ゲーム

って書く。この速度感とぶった切りっぷり。んで重要ではない部分で、他人を不快にさせることをサラりと書いて、何もなかったかのように、そんなこと当たり前じゃん馬鹿野郎とばかりに、次次と論を進めていく彼の趣味の良さには頭が下がる。ゴーゴーもっとやれ!趣味のいい人間は基本的に信用できる。よって彼の論考は素晴らしい。たぶん。細部こそが全てだ。それがオタク道だ。たぶん。