だからちょっと覚悟をしててよね。

初音ミクが、私たちボンクラどもに、新しい自由を与えてくれたことは、確かなことだろう。私たちは、彼女を調教することによって、歌を自由につくる可能性を手に入れた。

かのような、新しい可能性に満ち満ちた世界に、私たちは投げ込まれて、大分経つ。私たちは、封建社会から解放されたのに、自由に恋愛できない。街には真っ当な服が溢れているのに、ボロ布を好んで被っている。文字は書けるし、読める。でも、真っ当な論考は書けやしないし、小説の断片と設定はHDDの中で今日も眠ったままになっている。ああ勿論てめえは、自由な世界で、引きこもってオナニーばかりしてやがる!

初音ミクは、購入者に「可能性」を与えた。それは「新しい歌が生まれる可能性」であり、「新しい自分を作る可能性」であり、「初音ミクを積みっぱなしにする可能性」であったり、「初音ミクを前にして自分の無能さを悟る可能性であったり」する。

自由が拡張されていった結果、そこで何もできない人間は、ますます無能呼ばわりされるわけだ。ファッキン!せいぜいできることは、「みっくみくにしてやんよ」と足を踏み鳴らし、一階の両親を不安にさせることぐらいだ。それか、鏡の前でネギを回したりするような自由。

未来?んなもんあるか!音楽屋より先に俺が路頭に迷うっちゅーねん。

と、バイト先で一日中セックスピストルズを聴いていた。グループの結成とコミケの開始は同年か。とか思っていたらガキが「曖昧3センチ何とか」という歌を今更買ってやがった。ノーヒューチャー、ノーヒューチャー、フォーユー!ノーヒューチャー、ノーヒューチャー、フォーミー!