反動と雑感と断片

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名前入りってのがアレだ!電話番号入りとかアレだ!

その、昔、女の子が可愛かった時代があってだな。それは昔のことだから、別に今、目の前に実現して欲しいってことじゃなくてだな。ほしのふうたやら、ほりほねさいぞうの一部の作品は、その手の虚妄をできれば目の前に実現させたいってのがあるんじゃないかな。何度もいうけど、こうの史代の諸作は、萌えってやつで。『夕凪の街 桜の国』ってのは、黒い髪の女の子がいた時代の話なんだ。スカートを履いた女の子がいた時代。女たちが、自分で衣服を縫った遠い遠い昔の時代の話なんだ。遠い世界だから、萌えとかいえるわけだ。コレを近い世界の出来事だと思ったり、世にこの幻想を実現しようとか思えば、それは反動だろう。

ほしのふうたってのは絵本作家になりたかったらしい。絵本ってのは、子供からみれば、ウザイもんだ。自分は、宮崎駿をリアルタイムで観た最初の世代であると思う。宮崎駿が「子供達のために」と、嘘を吐く。ここでいう「子供達」ってのは自分と同世代のガキ供のことだった。今から思うに、子供の頃自分は宮崎駿が大嫌いだった。生理的なレベルで嫌悪していた。『トトロ』のエンディングテーマなんか最悪じゃないか。今は別になんとも思わん。それなりに、自分も歪んだ齢のとりかたをしたと思う。

フェミニズムが悪いってわけじゃない。たぶん、現実のフェミニストってのは昔ながらの可愛い女じゃないだろうか。怒られるだろうけども。

ヤオイには全く詳しくないが、この手のものが復活させようとしているのは、懐かしく、どこにもない風景ではないだろうか。坂田靖子が児童文学的作品を描く一方で、ヤオイ文化の草分け的存在であることを思い起こしてもいいかも知れない。

まーなんだ。呪われているのだ。福田和也の「日本人」という文章の「日本人」という部分を「オタク」に改変して引用する。

行けオタクよ。汝ら神の子孫、女衒と詐欺師の末裔よ。行ってさい果ての泥濘の底に家郷を打ち樹てよ。
求めよオタクよ。宇宙の総てに欲情し、万象の宝を掌中にし、総ての理想と崇高を残骸にせよ。
そして、失えオタクよ。失い、失い、空の空たる虚無の中で、その温かい腸から、静かに歌を響かせろ。

8ビットの音楽たちは、今日も静かに響いている。それは、懐かしく、どこにも向かえないものとして。