昨日の雨


水上悟志惑星のさみだれ』3巻より

http://anime2.2ch.net/test/read.cgi/asaloon/1183316275/792-794
古鳥羽護氏は、アキハバラ解放デモ騒動を「ネット右翼」VS「表現の自由」「反『議論の封殺』」とでもフレーミングしたいのだろうか?もしそうだとすれば、それは錯誤である。

アキハバラ解放デモの首脳部や擁護派ら(ただし一部)が行った、「匿名によるブログへの荒らし行為」「mixiコミュ内での反対意見の削除」は「議論の封殺」である。そしてwebで反対意見を持つ者を現実社会で襲撃する行為は、テロに他ならない。

そして一番重要なのは、「ネット右翼」を忌み嫌ってであろう一部デモ擁護派が、「議論の封殺」という点において「ネット右翼」と同一の地平に立ってしまったという点である。いわば、デモ擁護派はネット右翼の左翼版なのだ。

ネット右翼斎藤環内田樹の本を読ませても、生まれてくるのは、おそらく痛いガキだろう。「議論の封殺」をする。味方以外は全員敵。そしてその間にいる膨大な「他人」の存在を認められない。自身の失敗を他人のせいにし、勝手に自爆するバカども。

ネット右翼」と一部デモ擁護派の違いは、知識だけである。その両者の姿形はよく似ている。このしみったれた世界から本気で抜け出そうとするならば、大切なのは知識の詰め替えを行うことではなく、知識の詰め込み方や知識そのものを問い、自身の脳みそと立ち位置と人生を問わなければならないと思う。

左翼がその対抗者に似てくること自体は歴史上幾度もあった。いうならば左翼の伝統芸だ。アキハバラ解放デモのテーマは「新しさ」であった。左翼とオタクに新風を吹き込むこと。しかし結果として、左翼の伝統芸は繰り返され、「オタク=痛い」という物言いを強化する出来事が多く起こった。これらにより「新しさ」は失われた。アキハバラ解放デモは終了である。終わーり!

佐藤大輔,伊藤悠皇国の守護者』4巻より