日々のこと

PDAのモニタとキーボードを繋ぐ可動部分をぶっ壊し、イヤホンを断線させた。どれだけ物を大切にしないのだ自分よ。イヤホンは年に3回は買い換えていることになる。仕方がないので100円均一の500円のイヤホンを愛用していたのだが、最近売ってない。PDAは後ろに本を当てる等して無理矢理立たせることにしよう。あーあ。

『痕』プレイ終了。「鬼」というものは何をどう考えてもメタファーであって、「心の中のどうしようも無い部分」といかに折り合いを付けるか?また折り合いが付けられず、自身を「狩猟者」と呼ぶような人間はいかに痛いか?というのが作品のエッジの効いた部分で、また主旋律であるように開始直後は思った。「プレイヤーはエロゲをしながらそのような説教を喰らうわけだ。」「いるよね。自称狩猟民族。そういうヤツに限って小心物だったりするわけだ。俺とか君の10代の頃の話だ。」と下品なことを考えていたら、「鬼」というものは作品中に「実在」するらしい。つまりメタファーじゃないってことだ。

つまり「心の中のどうしようも無い部分」は、「自分の責任だから自分で何とかする。血を吐きながら」的なものではなく、「血統だよ」「伝奇だよ」「SFだよ」的な、取り合えず主人公の責任外な物として最終的には設定されている、と。無論、この手の無責任さを選択するとバッドエンドだらけになるわけだし、製作者はそれなりに考えているとは思うのだが、「自分の暗部と向き合いう。んで向き合えなかったヤツは破滅する」という説教をエロゲで喰らうっていう『痕』のエゲつなさを、「血統だよ」「伝奇だよ」「SFだよ」的種明かしは、明らかに薄めているように思う。

ところで『Air』のメインヒロインを見たときに、「コイツは俺だ」と思った。田舎で、一人ぼっちで、意味不明な差異化ゲーム(自販機の変なジュースを飲む)を演じている姿は全く他人事ではない。なぜこんなハメに陥っているかといえば、何をどう考えても「自分のせい」ではないか?と思うわけだが、『Air』はこのように結論をつけているように思えた。

「前世が悪い。」と

かのようにエロゲをプレイするのは間違っていると思うわけだが、後世のために記しておく。お前が生き苦しいのは前世が悪いorz