デモならできるぜ就職は怖いよの子供たち(アキハバラ解放デモ雑感1.5)


かわぐちかいじ『はっぽうやぶれ』3巻より

あのな。デモは昔から祝祭だって。だからデモの祝祭性を強調したって全く意味がない。

大体な、祝祭ってのは難しいんだ。いうならば「祝祭は地獄」。学園祭で伏目がちだったアンタならわかるだろう?小熊英二『民主と愛国』の60年代安保のくだり読んでみ?デモを始めたら、路上の人が次々とついて来て、大きな隊列になって街を埋めた。それなんて人類補完計画?「溶け合う心が私を壊す」。んで赤い髪の少女が言う「きんもー☆

学生運動は祝祭ですよー、オタクは祝祭ですよー、宗教は祝祭ですよーってことで何が出てきたと思う?連合赤軍はリンチ事件を起こし、宮崎勤は幼女を殺し、オウムは地下鉄にサリンを撒いた。祝祭を突き進みすぎたやつのせいで、世間の風通しがとても悪くなった。この手の痛いヤツラをオタクは見てきたと思う。いや、彼らの痛さを我が物として生きたと思う。

この手の人間に「祝祭ですよー」というても始まらない。なぜなら彼等は祝祭の真っ只中にいて、その酸いも甘いも知っているからである。いうならば彼等は戦場にいる戦士であり、その戦士にむかって戦争を説くのはアホである。

今、強調されるべきは、祝祭ではなく、むしろ政治。たとえば表現規制は政治に左右されるし、表現の自由は、オタク全員に取り合えずの利益をもたらす。これをいかに交渉やら妥協やら綺麗ごとをならべて政治のテーブルに載せるか?が今一番必要とされていることであると思う。

「このデモで何か変わりましたか?」に続くのは「真面目に政治をやることこそが何かを変える」だって。旧来の左翼から政治を取り戻す?ブサヨクが政治的だったことなんて、この自民党が勝ち続けた日本であるわけないじゃん。

しかし私はこのデモの祝祭性は好きだ。デモの祝祭性を強調することは馬鹿げているが。「旧来の左翼から政治を取り戻す」ってのも脊髄に来る言葉だわな。一介のネット右翼として。

下らない物言いだから読まないで欲しいんだが、このデモの騒動は、政治VSオタクの対立じゃねえ。むしろオタクの歴史を変えてやろうというオタク第三世代と旧世代のオタク(彼等はポスト全共闘世代でもある)の対立。俺の頭は後者に味方しろと言ってるんだが、背中に刻まれた「萌え」の刺青が疼いてたまらねえ。