日常の感想

バイト先に体育会系の新人が入ってきた。正直、使いやすい奴だと思う。普段は体育会系の人間が死ぬほど嫌いなくせに、調子がいいもんだな俺よ。死ねばいいのに。

失踪日記』を再読。実話であることを捨てて読んでいくと、成長物語としてよくできていると思う。試行錯誤を繰り返し、主人公は棄民から一人前のホームレスになり、ガス管工になる。アル中を克服したりもする。ええ話や。ってことだが、言うまでも無く主人公はマンガ家なので、ガス管工になっても仕方がないし、一人前のホームレスになったって仕方がない。

主人公の大きな目標は取りあえずはマンガの現場に復帰することで、そして名声を取り戻すことである。その場所に至れずに生活の前に立ちはだかってくる小目標とまさに「必死」になって戦っている。だったらこの話は成長物語になれない成長物語と言うことができるだろう。この手ひねくれ方は、作家としては真摯で態度であるように思う。わかり易い感動を拒否し、それからこぼれ落ちていく物を描こうとしてるのだもの。このマンガを「リアリティ」がないと言った人がいるそうだが、彼にとっての「リアル」は安いもんだ。俺はリアルとは、大きな目標に向かえずに小さな目標と必死になって戦ってしまう姿だと思う。貧乏なのにパチスロをしてしまうというような。生活が大切なのに、生活を捨てて生きるために仕事をして過労死するというような。非モテ非コミュといいつつも虹裏に入り浸っているような。革命といいつつも内ゲバをするような。

本作の続編は未だに書かれてないんだっけ?もし書いたら、吾妻は「ホームレスにまで落ちぶれたものの、見事に復帰を果たした天才作家」という物語を獲得することができるわけだ。それを吾妻は(結果として?)拒否している。『失踪物語』にある「リアルさ」を彼は作家として必死に守っている。作品の世界を壊さないように自己を演出している。結果としてだが、すごい。

吾妻ひでおは「ぼくらの作家」というよりは、一人の巨人だろう。オタクの開祖というよりは日本史の巨人というべきかもなあ。