コミュニズムからコミュニティへ。バリケードからATフィールドへ。やがて絶対領域へ。

冒険でしょ、でしょ
ホントが嘘に変わる世界で

http://d.hatena.ne.jp/meiwakoko/20070525関連
ハルヒのイメージはむしろ「新左翼」だろう。そしてハルヒは、「新左翼」から『げんしけん』へと流れる「ユースカルチャー共同体」の血脈の上に登場するキャラクターでもある。日本共産党ハルヒみたいなのを、かつて新左翼に対して述べたように「冒険主義」だの「トロツキスト」だのというべきである。今更、「新左翼」を取り込もうなんざムシが良すぎる。むしろ「赤軍を作れ」と唸っていた原初に戻るべきである。

それとむしろSOS団こそが共産党の失敗に学ばなければならないこともあるみたいだ。
参考に→http://d.hatena.ne.jp/ronnor/20070408/1176015993


私はハルヒについて

http://www.kadokawa.co.jp/sp/200603-04/参考に
「ただのプロレタリアートには興味ありません。ヤクザ者、朝鮮人部落民、学会員がいたら、あたしのところに来なさい。以上」。入学早々、ぶっ飛んだ挨拶をかまし涼宮ハルヒ。退屈な共産党にあきたらない彼女は、「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団」通称SOS団なる防共団体を結成したのだ。
そんな彼女に巻き込まれたのが、ノンセクトキョン、無口な元共産党員・長門有希ハウスキーパー朝比奈みくる、北からの諜報員・古泉一樹。だが、キョン以外の3 人には、ハルヒには言えない秘密があるようで……。天上天下唯我独尊超ポジティブワガママ娘のハルヒに振り回される日本国家と在日米軍が繰り広げる、ビミョーに反革命学園ヒストリー!

http://d.hatena.ne.jp/yasudayasuhiro/20070318#p1

と書いた。たぶんこの物言いは、そう間違ってはいない。
http://www.janjan.jp/government/0705/0705195747/1.php
唐牛健太郎は田中清玄の元にいたことがあるのだそうだ。そしてそのことを、世間と共産党は批判した。そして、この関係を擁護したのが吉本隆明であったりする、と。

共産党流の「真の革命」から排除された、「革命」の別の部分である「祭り」やら「暴力」やら「終わらないユートピア」みたいなのを、新左翼は追い求めたのだろうし、オタクも政治性を脱色した場所から彷徨いこんだ。ネット右翼もまた彼らユースカルチャーの一味といってもいい。

ただし、新左翼活動は連合赤軍で駄目になったし、オタクにはオウム真理教のようなスキャンダルがあった。ニコニコ動画ハルヒや『まなびストレート』と像を結んだ外山は都知事になれなかった。ネット右翼に期待はかかるだろうが、正直http://koreanthe3rd.jp/archives/218このような意見は当たっていると思う。

まじめな「政治」が求められているのだ。だから共産党もまじめにやれ、と。民主党もパクマンみたいな図像を掲げているんじゃねえよ。

靖国』の著者でもある坪内祐三は、『同時代も歴史である 一九七九年問題』で、学園際に没頭する自身の姿を、学生運動に対する批判的継承として描いている。坪内は述べていないが1979年あたりはサブカル史的には重要な時期でもある。学園祭で人力車車夫にふんする坪内は、TVニュースのワンコーナーで取り上げられることになった。しかし、そのコーナーは、イラン革命が勃発したことにより、取りやめになったと坪内は印象的に書いている。

私はイラン革命について何も知らないのでなんとも言えない。ただ坪内は、どこかで絶対的なものが出てきて、終わりなき世界を壊す瞬間というもの存在を描いているように思えた。

http://image.blog.livedoor.jp/guideline/imgs/a/a/aac1ab02.jpg
http://www.afpbb.com/article/1174867
しかしなぜか今日の中東ではハルヒが掲げられる。偶像崇拝の禁止はどうした?イスラムよ。『冒険でしょでしょ』は鳴り響くのか?