歴史とメタとパンツたち

「脳みその中をひっくり返してみると、ゴミ箱をひっくり返したみたいだ。」と言うとまあ、謙遜だ。

私の中でパロディっていうと吾妻ひでおの後継者に挙がりそうな、しりあがり寿上野顕太郎とり・みき唐沢なをき辺りのことだ。西川魯介平野耕太小原愼司となると微妙で、kashmir吉崎観音古賀亮一辺りはたぶんパロディじゃない。マンガ研究の教科書を開けた時に挙がってくる作品に対峙しているのが前者で、彼らの背中を見ながら「自分は何だ?」と考えたのが中者、パロディをパロディとして享受しているのが後者だ。たぶん。「前者を絶対的に支持する。後はバカ」とハッタリをかませばいいんだろうが、どうも出来かねる。だって、マンガをパロディにするってのは何か変じゃないか?マンガはパロディをするためにあるんじゃないか?と。

さてそれは置いておくとして。『ジャンプ』というものを私たちはおそらく量りかねている。「最近のマンガはツマラナイ」といわれた時代にメガヒットを出し続け、そのくせちょい前の評論の枕詞には「マンガを無視するのはイクナイ。例えばジャンプは○○部売れている」と語られてしまった『ジャンプ』。これを語るのに「漫画ブーム期に遅れて創刊」「新人発掘と教育」「アンケート至上主義」「小林よしのり諸星大二郎と『はだしのゲン』と『アストロ球団』」だけでは不十分だ。おそらくwebをひっくり返せば良い物言いが見つかるのだけど、探す気も無いし、見つかったとしても『ジャンプ』に対する作法というか態度というか腹積りってもんがそこには無い気がする。たぶん。そうして作法が定まらないまま、『ジャンプ』と対峙し、パロディにするとは一体何事か?

#I04さん(http://d.hatena.ne.jp/I04/)に同人誌をタカッた。ブツは『SUPER16空間美楽團PART2』。大量のオマージュだけではなく、マンガの中にマンガが出てきたり、マンガのキャラクターが「これはマンガではないか?」と言ったりするメタメタな展開。しかもそれが同人ゲームの同人誌を舞台にしている、と。同人ゲームの同人誌ってのはやっぱり変ではないか?無論そのような風景を自然なものと感じている私たちの方が相当すごい境地に居ることだろう。このようなメタの地獄巡りを果たした作品は、登場人物がメジャー作家を目指した挙句、ク○○○ン的ジャンプのパロディ辺りに胴体着陸して終わる。着陸したのはいいいけど機体は炎上。乗客もパイロットも死んでいる。それなんてマンガ史?

ちなみに私はジャンプを読んでいない。ハハハハハ。「大暮維人って昔エロマンガ描いてたんですよね?」と言われたら、オタクは一体どう反応したらいいんだろう?「少年マンガ」ってのは多分そういうことなんだ。ところで#I04さん。作家はよく心臓麻痺で死にますね。何ででしょう?たぶんそれは自(以下略)。若い人は『To LOVEる』なんて読まずにもっと尖がって欲しいと思います。丸尾末広ほりほねさいぞうを読むことを期待している年長者を背に、ガキどもはク○○○ン的ジャンプのパロディ辺りに胴体着陸。着陸したのはいいいけど機体は炎上。乗客もパイロットも死んでいる…