ロリコン・フェミニズム・少女マンガ(だっしゅ)

物心ついたときに「少女マンガ」を読んでみたら「すげえ」と思った野郎がいてだなあ、そいつらがじゃあ俺も少女マンガ的技法をつかってマンガでもかいてみっかなと思ったと。

さてさて出来てみた物は、これがなんとまあ「少女マンガ」と似つかないものだった。さてどうしようか?と

「少女マンガ」と似つかないということに目をつぶって、その出来上がったものの中の「生々しい」部分を交配させ続けたヤツラがいる。いわゆる「ラブコメ」だ。

似つかないことの原因を自身の男性性に求めりゃ、人はフェミニストになる。「自分は間違っている。少女こそがこの世の真実を握っている」とか思い始めたりもする。

さて両者が最終的に行き着く先は「ロリコン」だ。「ロリコン」を如何にして食い破るか?というのは今日のテーマだ。

「自分が男でしかない」ことを受け止めること
「少女も大したことないぜ」と思うこと
この辺りに回答があると思う。

かつて、「ロリコン」が「マザコン」に対抗できると考えられていた甘い甘い時代があったと思う。そんな時代は遠の昔に過ぎ去っちまった。

あびゅうきょ本田透の憎悪は「歌の別れ」だ。かつて好きだったものに対する、愛憎の表明である。もうそんな頃は終わったんだ、と。

これを誤読されるとさすがにツライ。というか誤読する女は死ね。

(ちなみに私は『電車男』も『電波男』も読んだことがない。m9(^Д^)プギャー!!)