ハルヒの90年代(妄想)

http://d.hatena.ne.jp/yasudayasuhiro/20061215
でトンチキなことを書いたわけだが、どうもハルヒのモデルになった地域と学校は阪神大震災でえげつない目にあったらしい。

震災の被害に会っただろう校舎は取り壊されて、『ハルヒ』のあのスカした北高(のモデル)がぶち建ったってわけだ。

1970年に設立された北高のモデル校に、あのような『ハルヒ』にでてくるような旧校舎は存在しないだろう。そして存在したとしても震災の被害で崩壊したか、取り壊されただろう。

しかし『ハルヒ』の世界に、「SOS団」が居を構えた旧校舎は存在する。ならば、だ。あの旧校舎の存在は震災に対するある種のレスポンスではないか。

作者たちは、「旧校舎」が存在する世界を描くことによって、震災によって受けた傷を癒そうとしたのかもしれない。震災が起こらなかった世界を描こうとしたのかもしれない。

東浩紀動物化するポストモダン』や大澤真幸『虚構の時代の果て』の議論によるならば、阪神大震災が起こった年は、つまり1995年は記念的な年だ。エヴァンゲリオンとオウムとWINDOWS95とバブルの下げ止まりがあった年。何よりも震災で多くの人々が亡くなった年。

ハルヒ』は1995年を見つめている。エヴァンゲリオンだけではなく、オウムや、何よりも「震災」を見つめている。

うちのブログのタイトルは原野商法1997だ。1997年といえば金融危機のあった年である。「バブル崩壊」というものの本質を見せ付けられちまった年だ。同年に震災の被害に会った新興住宅地で下らねえ事件があった。本当に下らねえ事件が。

90年代は終わっていない?それとも?