さてどうしようか

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山本七平カモン!内田樹ってこんな変な人だっけ?

空気嫁!ってのは要は文脈を理解しろってことだろ。「萌え」っていうのは文脈だわな。「萌え」は作品の本質と違う場所にあると考えられている。例えば「萌えアニメ」みたいなふうに聴くと、ああストーリーは大したことないんだなあ。と思うだろ。んで、「萌えアニメ」でストーリーとかが良かったら「萌えだけではないアニメ」のように言われると。オタクってのは文脈を理解することに長けている。じゃあ、現実にオタクが「空気の読め」る人間か?と言われれば疑問符を打っちまう。もちろん個人差はあるのだけど。

「空気を読む」ためには、他者に共感しなきゃいけない。しかし共感したくない人間もいる。嫌悪感をもってしまう人間の空気なんて読みたくない。共感できるわけもない人間もいると。利益を共有できない相手の気分なんて、まず理解できない。そしてその様に考えてしまう自分もいると。

「空気を読む」能力があっても、他者と自分とが同一の文脈に立っていない限り、「空気を読む」ことはできない。ここら辺りで出没するのがナショナリズムだ。「大きな物語」ならぬ「大きな文脈」(今思いついた)を用意することによって分断された集団や個人を束ね、「空気が読める」人間にすると。福田和也は「ナショナリズムとは間テクスト性だ」とも言っている(『余は如何にしてナショナリストとなりし乎』)。

でも今日のナショナリズムは空気を破壊するための一面もあるわけでして。国旗や国歌に対する敬愛の議論は、公務員の癖に国旗や国歌に反発する勝手な空気を醸成した教員達への一撃という側面がある。

ところで職場で空気が嫁ない人間にどう対処したらいいものでしょうね。教育すべきなんでしょうけど、教育する時間も金も無い場合はどうするか?マニュアル化を進めるというのも一手だ。「文脈」から「文」への移行。この際効率には目をつぶる、と。

空気を読みすぎるのもアレですな。自分ばかりが仕事をするはめになる。夏目漱石の有名な一文を引用しよう

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。

「情に棹させば」っていうのが「空気嫁」だわな。でも他の方法でやりきるのも難しい、と。要はバランスが重要なんだけど、空気の読めない自分にゃ、バランス感覚なんてものはない。ああああー。