ストーリーは終わっちまったけども

保守は主義ではないといわれる。しかし今日の保守は主義でしかありえないだろう。

西部邁は「保守とはバランシング・バーである」という。もし人が平衡を保ちえているのであれば、「バランシング・バー」なぞいらない。空気も読めず常識も無い人間が手にするものとして保守は道具として存在する。

保守は感覚である。彼らが重視するのは快楽である。遊ぶことによって生成されるものこそが重要である。でも、例えば福田和也がそうであるように、遊ぼうとして遊んでいる人間はどこか憂鬱である。世界を変えようとして、デモをしたり、2ちゃんねるに書き込んだりしている人間の方が、今日の保守より嬉々としている様に私には見える。

http://www.akitashoten.co.jp/CGI/autoup/syousaiput.cgi?id=01810

新美少女雑誌
チャンピオンREDいちご(15)」創刊!!
12月26日発売予定

チャンピオンREDから、赤くて甘酸っぱい、
ほんのり初恋の味がする新雑誌が誕生!!
オール新作読みきり、
オールヒロイン15(いちご)歳以下!

だそうですぜ。 三浦靖冬の一般誌むけの作品が少しだけ楽しみです。少女マンガのように描きたかった「ロリコン」とも違う、切実なものを抱え込んだ鎌やん先生やら田中ユタカ先生やらとも違う、ポップな彼らの射程や如何に。

ほしのふうたもそうだけど三浦靖冬ってのもノスタルジーを喚起する作家だよな。保守はこういうのを読まなくてはならない。でも彼らは従来の「ロリコン」とは少し違う位置にいると。マンガ界の伝統から離れていると。

わたしたちは遊ばなければならない。青白い顔をして。必死にもがきながら。憂鬱だ憂鬱だ憂鬱だ憂鬱だ