呪いの信旗

江藤淳漱石とその時代』に漱石日露戦争をテーマにして書いた『従軍行』という七連の詩が引用されている。全体としてはあまり良い詩ではない。しかし江藤淳が「わずかにイメージに生彩がある」と評した第四節がいいカンジなので、引用する

空を拍つ浪、浪を消す烟、
腥さき世に、あるは幻影。
さと閃めくは、罪の稲妻、
暗く揺くは、呪いの信旗。
深し死の影、我を包みて、
寒し血の雨、我に濺ぐ。


サブカル・アングラ趣味。と言ってしまえばそうなのだが、このように描かれてしまう「戦争」が喚起する美的で退廃的なイメージは、今日において失われている。平和のための戦争。防衛のための戦争。国益のための戦争。何かのための戦争。ならばその何かについて考えねばならない。ネット右翼はその何かについて、どこまで考えているのだろう?

左翼の正しさと、そこからやってくる彼らの「政治」に対して、右翼が取りえた一つの方法が「美」である。そんなハズだったのにバカどもは「美しい日本」などと言っている。この日本が美しいと思えるなら、右翼なんぞやめちまえ。電通のコピーに屈するような右翼はいらない。