三時四十一分発の毒

馬鹿野郎。俺の祖父なんてのは結核で戦死を免れた挙句、GHQにもらった土地を道路公団に転がして悠々自適な戦後を送ってるんだよ。それと母の祖父は警察のパシリで、母の父はGHQのパシリだったんだぜ。

無残に死んでいった戦死者を尻目にヌケヌケとやってきたのが我らの戦後だ。戦死者はこれまで一度も自らの体験を語ったことがないし、これからもない。私たちが勝手に戦死者を語らせたことは、ある。それは愛憎やら、後ろめたさやら、その他クソめんどくさいものに塗れている、と。ならば歴史を語ろうとするなら、自らの「言葉」について考えていかなければならない。祖父が、という視点だけでは不十分で、それは自らに向かわなければならないし、戦死者にも向かわなければならない。戦死を体験した人間から生まれた人間は存在しない。繰り返すが、祖父だけでは不十分なのだ。

ところで『金魚屋古書店』ってマンガが大嫌いだ。こういうのを「戦後民主主義者」という。俺は今死んでいくものたちと、かつての戦死者のために色々と考えていくつもりだ。