この保守一人で回る4

ニーチェナショナリズムを嫌悪したといわれている。ではなぜ、ニーチェを研究した西尾幹二は「つくる会」という運動を始めたのだろうか?この問いを解く鍵を西尾のニーチェの評伝に求めることはおそらく見当違いではあるまい。

ニーチェは学者である。その学者風情は自ら望んで普仏戦争に参戦し、傷を負った。ニーチェの行動を西尾は以下のように描く。

歴史の認識というそのこと自体の矛盾がもたらす解決策として、あるいはバイロイト劇場建設運動といい、あるいは僧院風の新しい大学設立の運動といい、彼には未来の価値を形成するなんらの具体的行動が必要であったのだ。フランス戦線への出陣もまた自虐的課題を自分に強いた結果であったかもしれない。彼は夢をみることが必要であったのだ。否、彼は夢をみながらそれを夢だと気づいている経験、陶酔しながら同時に覚醒している経験、それをただ論文で他人事のように、学者風に論述してるだけではどうにもならないという思いに責められなかっただろうか。
 行動とは、たとえいかように些細な行動であろうとも、およそ事前には予想もしなかった一線を跳び越えることに外ならない。事前にすましておいた反省や思索は、いったん行動に踏み切ったときには役に立たなくなる。というより、人は反省したり思索したりする暇もないほど、あっという間に行動に見舞われるものだ。そしてそこには今までの反省や思索を無効にする新しい経験を持っている。

彼の非政治的もしくはもしくは反帝国主義気質は学生時代から明らかで、突然決意して従軍した数週間を除いて、それ以前とそれ以後の、政治現実に対する彼の姿勢は、ほぼ同じ文化ペシミズムで蔽われ、非政治的理想主義で一貫していることをみれば、彼の約1カ月にわたる発作的行動はたしかに悪夢のようなもので、明確に説明はつかない。
 人よりいち早く決断し行動し、そしてたちまち幻滅したようにみえるが、しかしじつは行動する前から彼は幻滅していたのではないか。そしてそれゆえにこそ行動したかったのではないか。夢みる前に醒めていたからこそ、夢をみたかったのではないか。

西尾幹二ニーチェ』の『本源からの問い』より

上記の文章がニーチェを正確に描ききっているのか否かは、学の薄い私にはわからない。しかしこの文章は後の西尾自身の姿を予言しているかのように読める。(また引用文は『西尾幹二の思想と行動 1 ヨーロッパとの対話』という選集に選ばれていることからも、西尾がこの文章に重きを置いていることがわかる)http://d.hatena.ne.jp/yasudayasuhiro/20060302で書いたことだが、西尾幹二は「政治の季節」が終わった後に、左翼の活動家とは別の地平から、閉塞しきった社会を見ていた。彼は保守である。彼は世界の変革という夢から醒めている。「理想」をなくった世界を生きること。保ち、守ること。そして耐えること。「平坦な戦場で生き延びること」。だが、そのように生きていかなければならないからこそ、夢が必要だったのだ。そう、ニーチェのように。

学生時代の自分はおそらく、彼の後姿に何かを見ていたのだと思う。かつてネット右翼の世代は宮台真司によって「終わりなき日常」を生きる絶好の若者と捉えられていた。わたしたちの背中には「価値相対主義」と刻まれている。ありとあらゆるものにウヨたちは醒めていたし、今もまた醒めている。それゆえに夢を見たかったのだ。ネットいう安易で安全な世界でもいい。行動することをネット右翼は求めていた。行動を!今までの反省や思索を無効にする新しい経験を!


話は少しかわる。自称しているように西尾幹二は政治家ではない。彼は学者であり、学者というよりは好事家である。そして好事家は行動を起こした。それゆえに支持もされた。この「好事」という観点はおそらく重要である。小林よしのりがマンガ家であったことをここで思い出してもいい。小林よしのりは90年代初頭、明らかに時代遅れな作家であった。かれは不条理マンガ家たちに追い立てられていたし、『おぼっちゃまくん』にしてもリアルタイムで読んでいてツライものがあった。その『おぼっちゃまくん』が掲載されていた雑誌には、小野敏洋が『バーコードファイター』という「現に生きられたジェンダーフリー」みたいなマンガが載っていた。『バーコードファイター』はタイアップ企画で、しかも打ち切りであったが、『おぼっちゃまくん』よりもはるかに面白かったような気がする。

小林よしのりも行動を起こす必要があった。で、これで小林よしのりについては持ちネタが尽きた。次はかわぐちかいじについて書こうと思う。(続く?)