この保守一人で回る2

yasudayasuhiro2006-03-02

ステキ キセキ 東洋鬼!(ハイッ)


はいはい続かない続かない。
つくる会」の内紛については、自分が何かを言える立場でもないし、正直よくわらない。でも、ネット右翼が一つの分岐点に立たされはじめてることは確かだ。乗るか、反るか。どちらにせよ腹を括らなければならない。
つくる会」を「右翼全共闘」と呼んでいる人間がいた。この物言いの正否は別にして、頭をガツンとやられた気がした。
日本の文化人を計る一つの指標に「60年代から70年代はじめにかけての学生運動を如何に捉えているか?」というものがあると思う。例えば西尾幹二はあの時代をどんな気持ちで過ごしたのだろう?『自由と宿命・西尾幹二との対話』より引用する。

ところが、そういう教養人、大学の先生たちは、六十九年の総選挙で自民党が圧勝して、街頭闘争に終止符が打たれると、一般社会が保守化するのに歩調を合わせて、突如として保守化しちゃうんですよね。今まで学生たちをあおっていた自分たちの言説を忘れて、いかにも学生が悪いみたいなことを急に言いだした。
それまで学生たちの味方をして、教授会で例えば警察官を導入すべきだと私たちが言うのに反対していた連中が、世の中が保守化しちゃうと、学生たちを、あいつらはけしからん、単なる野蛮な暴徒だ、などと言いだす。
ときの勢いを見ているに過ぎないんですね。あの人たちは永遠にそうなんですね。そういうことに、私はすごく腹が立ったわけですよ。

教養人らの不誠実さに腹を立てるのは十分に理解できる。しかし、世の中が保守化したならば、それはそれで良い事ではないか。大学の教授たちが、学生たちに「ルター以来の偉大なる改革精神」を見ることを止め、「野蛮な暴徒だ」と理解することは、大学から左翼がいなくなることを意味する。ならば、それらは、「保守」にとっては、とても良い事のはずである。いわゆる「保守」にとっては、だが。

三島の死に私が非常な衝撃を受けると同時に、言論界は潮を引くようになり、「楯の会」はちりぢりになって滑稽なものにしか見えなくなるし、左の過激派はほら穴を掘るようにして、地下にもぐっていく。
そして社会の表面は平穏無事で、しらけのムード、無気力・無関心・無感動の七〇年代に入る、同時に漫画チックな思想が流行りだすことになる。文壇は、内向の世代とかいって、非政治的になり、論争が消えて、ある意味では頽廃的なムードになった。ここは、時代の大きな境目だったと言えるかも知れません。
私としては、もう政治の議論は止めようという思いになりました。私たちの議論は勝ったんですけれども、嘲りしか返ってこなかった。正しいことを、ちゃんと言った人間は嘲られるということでしか報われなかったんです。あの時の全体の空気はそうでした。
なんにもしないで、勝手なことをやり、好い加減なことを言っていた連中で、おもしろおかしいことを書ける人間が、ワーッとマスコミに出てくるようになりました。
私は、遠くにたたずまざるを得なくなった。その時、変わり身早く動けばいいんでしょうが、私はもうなにもやらなくてもいいという諦念的気分になり、いっさいの政治発言をぷつりとやめて、ニーチェショーペンハウアーの仕事に向かっていき、それで自分を救ったわけです。

西尾は「内向の世代」を軽蔑してはいる。だが、「諦念的気分になり、いっさいの政治発言をぷつりとやめ」た西尾を「内向の世代」の一人に挙げることができると思う。発言を止めた西尾はニーチェに救いを求めた。そしてその彼は90年代に「つくる会」という運動を始める。それは「超人」への道か?それとも「超人」を越えた後に表れる境地なのか?お勉強しながら探っていくことにする。