セカイ系

めんどくさいけど私もこれについては一度ぐらいは語らなきゃなあ。要点だけいうと「今はじまったことではない。なぜ今はじまったといわれるのか?」って感じで。ところで岩波書店の『世界』はどれぐらい売れてんだろ。敗戦直後の焼け野原で飛ぶように売れたという話を聞いた気がする。でも今じゃ朝日を馬鹿にし続ける右翼だって、岩波も『世界』も相手にしない。
「セカイ」という響きは侮蔑的だ。ならば「世界」は崇高か?そして崇高でもないものからの逃走はカッコいいものなのか。「政治がわからないから小林よしのりにはまる」とは東浩紀の言葉だ。「世界」は「セカイ」化している?ならば「セカイ」には何のアドバンテージが?

いきなりだが小林秀雄を引用する

林房雄牧場物語」(「改造」)を先ず読んだ。作者は作中人物に次の様な意味の事を言わせている。日本は戦争毎に飛躍して来た。その飛躍は単に産業的な意味ではなく、こんどの事変で日本の思想界がどんな飛躍をするのか、それを見るのが楽しみだ、と。そういう気持ちが、この作を書いた時の作者の心に往来していた事は、明らかに察しられるが、作品は成功していない

小林秀雄全作品10『文芸月評ⅩⅥ』より。強調部は保田やすひろによる。

小林秀雄のような「きょうど」を手に入れたい。「強度」や「郷土」でもなく、「きょうど」を。