宇宙(そら)も保守(ほしゅ)もルーレットシアター

告白すると私はピアノ・ファイアというブログの隠れファンである。告白したからは、隠れでもなんでもないわけだが、はてなアンテナに追加するのはなんとなくはばかれる。そのピアノ・ファイアの旧サイト名は「The '90s is not END」という。

90年代というと、エヴァンゲリオンオウム事件、神戸児童殺傷事件を挙げるのが今日の相場である。右翼ならばこれに小林よしのりの『戦争論』を加えるだろうし、左翼ならば国旗国歌法ガイドライン法を挙げるかも知れない。オタクならば『Kanon』や『痕』『雫』といったエロゲーを足すだろう。

「90年代前半はスカだった」というクリシェがあると思う。勿論、文化面に限った話だが、そういった言説が日々ある種のバイアスと忘却のなかで拡大しているように感じる。上で列挙したキーワードも90年代中盤以降から後半に属するものである。しかし「90年代前半」には確かに何かがあった。

「何か」とは政変である。恥を忍んで大袈裟にいうと「革命」である。「夢の革命」という方がいいかもしれない。1993年、自民党から離脱した新生党が中心となり、細川護煕を首班とする非自民連立内閣が誕生した。55年体制の崩壊である。私たちはこの「革命」にどれだけの夢を見たのだろう。

いうまでもなく、非自民連立内閣は翌年には解散してしまう。そして私たちの目の前には自民党社会党の連立という奇妙なものが現れた。ここに「革命」は流産した。「右」である自民は公明党社会党の協力なしでは政権が維持できなくなってしまった。「左」の社会党は消えてしまった。砂を噛むような1990年代はこのようにして始まった。

その規模において、オウム事件や神戸児童殺傷事件は大した事件ではない。規模でいえば、阪神大震災金融危機の方がはるかに大きい。「事件」の方が余りにも大きく見えてしまったのは、流産した「革命」の影と、「革命」の失敗による閉塞感を彼らに見てしまったからである。

現代の「ウヨ」や「サヨ」は「革命」の失敗から物事を考え始めた。福田和也は「革命」の首謀者である小沢一郎について柄谷行人対談との中で次のように語っている(柄谷行人/編著『シンポジウム 2』太田出版

福田 ただ、小沢は浅薄なまでの近代主義者であって、ずるずるべったりのムラ社会をバラバラにして個人個人を自立させることによって、日本を国として立てるという考えでしょう。
(略)
ぼくは柄谷さんや浅田さんこそ、久米宏みたいなことを言わないで、冗談半分にでも、小沢を支持するべきだと思う。少なくとも彼が日本的自然を切断しようとしているのはたしかなのだから。

福田和也という右翼が柄谷行人浅田彰という左翼に小沢一郎の支持を呼びかけているという構図。かつて「ウヨ」と「サヨ」は小沢一郎の前に立っていた。同じ革命の前に一緒にいた。

「夢の革命」は新進党から民主党へと引き継がれた。民主党は「サヨ」だけのものではない。今回の選挙においては小沢一郎も、「ウヨ」の西村眞吾もいた。しかし、民主党自民党に大きく負けてしまう。http://www2.asahi.com/senkyo2005/news/TKY200509120170.htmlによれば、自民は戦後2位の議席占有率を叩きだした。

ならば「革命」の失敗による閉塞感から出発した90年代は2005年にして、ついに終わったのではないか。ナショナリズムもそれを包括する近代主義の火もいまだ消えてはいないだろう。しかし、それはかつての文脈から切り離されているような感じがする。

「オタク」は「オタクブーム」になった。安倍晋三官房長官になった。The '90s is END!でもこれからドコへ?アイヤイアー