ワイルダレス

mixiを始めた。http://d.hatena.ne.jp/hanatareotoko/←ここの男からの紹介である。アンテナを張ってる人のページを眺めて、江藤淳やら柄谷行人やら樽ドルやらのコミュニティを回った。このmixiってのはなかなかやっかいなモンだね。

なんといっても友人のメンツを気にしなければならない。勝手な悪口は言えないし、うちのブログの大テーマである「パラフレーズ」(ナショナリズムじゃないよ)が上手くつかえない。しかも、友人関係ってのはmixiにおいて、濃く強いものになっているように感じる。或る自殺した同人マンガ家の、自殺直前の日記にはミクシィで揉めた、みたいな記述があった。まー、俺はトラブル体質だし、さっさと辞めた方がいいんだろうなあ。

広く浅く意味もなくいきている人間にはプロフィールに書くこともないし。でも少しぐらいはやってみっか。「音楽初心者の放牧日記」「ウイニングイレブン6で小宇宙を作ってオナる日記」のようなマイルドなヤツを。

おそらく俺ほどガンダムに影響をうけてないはてなユーザーはいないと思うが
http://www.gundam-exhibition.jp/
に行ってみたい。会田誠藤田嗣治アッツ島玉砕』ちっくな絵の前で「ザクとは違うのだよ、ザクとは」なんて嘘吹いたりして。

ザク絵も巨大なセーラさんにしても「悪夢」そのものなんだろうけど、「浅い」自分にとってはお笑い以外の何者でもない。「浅い」人間は「濃い」ガンオタ達がこの展示に怒り狂い、卒倒するであろう姿を想像する。そしてニヤニヤ笑う。でもその笑いはもう一方側の「濃い」人間に似ていることをいずれは知る。そして絶句する。さて、どうしようか。

こんな疑問を無視して話を変える。おそらく俺ほど「葉鍵」系のゲームをプレイしながら「葉鍵」に影響をうけてない人間はいないと思う。「ライトノベル」「ビジュアルノベル」は、現代のテーマにさえなっている。「ノベル」を否定して「純文」に向かうという逃げ道はもはや閉ざされている(蓮実重彦『物語批判序説』を参考に。←ちょっと違うか。特に高橋源一郎論はオタクには必見←だいぶ違うか。)。なんせ「純文」も「濃い」。この「濃い」世界の、「濃さ」を背負わない行き来は可能か。

「近代」を学びにいいったはいいが、そこで「反近代」に出会ってしまった夏目漱石アメリカで苦行を積んだ江藤淳。『批評とポスト・モダン』を書いた柄谷行人。彼らはこのことを考え抜いたような気がする。結論なし。樽ドル関係なし。