友人に語りたいオタク論(グデグデ)
何を期待していたんだろう。それとも地獄めぐりをしたかっただけなのか。ネクタイ締めて、日本橋をあるきまわってきた。いや単にエロ本が欲しかっただけなんだけど。まんだらけ、アニメイト、Kブックス、信長書店。田舎者の俺には階段の上り下りが結構きつかった。「スーパーフラット」などと誰がいったんだろう。
「萌える株式」みてえな本が出たんだけど、俺にはさっぱりわからん。「株式」と「オタク」が結束するのはわかる。でも図像がオタク的に萌えない、つまり絵が古く臭いってのはどうしてもわからない。所詮、野暮な半端者にはこの世界はやっていけないってことかね。
まんだらけで「大島弓子の世界」ってムックがおいてあった。ちょっといいなあと思って値段をみたら、千数百円もした。BOOK-OFFだったら100円だぜ。オウ?
オタクに「価値」が存在しないってのは嘘だ。「価値」を喪失したことに「価値」を見出す人間が彼らに「価値」を見るなら全くトンデモない。村上隆に感じ入ってしまったのは、そのことを理解者達はおそらく知っているからだ。
村上隆に価値があるのは、それが禍々しく歪み、トンチキなものになってしまっているからである。とすれば、そのオリジンには「価値」が存在する。その「価値」について考えよう。『げんしけん』?勘弁してえ。
話は飛ぶ。日本橋で目についたのはBL系だ。俺はそれを理解できる。なぜなら俺はチンコが好きだから。そしてチンコとは「価値」だ。勃起障害がインポテンツと呼ばれることを思い出せばいい。やおい穴ってのは存在するんだけど、やおい棒はこの世にあるのかね。オマンコはどうしたんだよお。なあ、フェミニストよ。教えてくれ。
信長書店でエロマンガを探していた。そのときに流れてきた『BORN TO BE WILD 』をしばらくのテーマソングにする。オタク的現状を否定しても、ビレッジバンガード的な現実が待っているだけだ!汁まみれの幼女に囲まれた空間で、本人が歌っているかどうかも定かでない歌が耳元にひびき続ける。
Like a true nature's child
We were born, born to be wild
We can climb so high
I never wanna die
Born to be wild
Born to be wild