エヴァと他者

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080520/p1
エヴァの結論は「他者と出会え!」だったのかも知れません。しかしエヴァの魅力は、他者を徹底的に消毒している点にあったようにも思います。ここで言う他者とは、アニメにおいてはネルフ関係者以外の一般人のことを指します。

エヴァの舞台はセカンドインパクト後の世界です。人類が半数にまで減ってしまった大事件の後の世界。この事件によって多くの人命が奪われ、また貧困等の現代的問題がもっと尖った形で噴出していることは容易に想像ができます。のたうち回りながら人類は復興のために走り回った。また復興もままならず、生きるか死ぬかという具合で日々を生きている人も、あの世界には現実世界より多数存在している。しかし、それらの人間と多くのエピソードについて、エヴァはほとんど言及しない。ミサトはビールを買って飲んでいる。ビールは麦からつくられる。しかし、地軸が傾いた世界で麦を作ることは大変な労力が必要であると思います。そして、それに付随する感動的なエピソードも、悲惨な話も全くで作中には出てこない。『北斗の拳』には種もみ爺さんみたいなのが出てきたと思うのですが、無論そんな人物は端にも出てこない。ビールは冷蔵庫の中にあって、缶は部屋の中に転がっているだけです。

物語が後半にさしかかってくると、この手の消毒はもっと先鋭化されていったように記憶しています。ネルフの隣人であった第三東京市の人々はどこへ行ったのでしょうか。使徒との戦闘で大多数が死んだのなら、その描写があってもいい。全員が疎開したなら、そのことを描いてもよい。年寄りに「この前の戦争と同じじゃ」とか呟かしてもよい。勿論、これらの他者の描写は後半になっていくとほぼ出てこなくなる。

また、碇シンジのクラスメイトもどこへ行ったのか。シンジにとって、彼ら他者と関係を結ぶエピソードは重要なものだったはずです。しかし、彼らもどこかへ消えていく。そして物語は、ネルフだけの世界へ、自閉したものへとなっていく。

EOEで、この自閉した人間たちが、使者ではなく、戦略自衛隊という他者に焼かれていく姿はなかなか見物です。えげつない言い方ですが。ネルフというサークル然とした世界が、ビール缶が転がる世界が、想定もしなかった他者によって犯されていく。彼らの敵は、使者ではなく、隣人という他者であった。

ラストシーンでシンジはアスカという他者に出会う。しかし、彼らの目の前に広がる世界は、かつては世界の復興を願い、終末の日々をそれでもなお生きようとした他者たちが、彼らの隣人と友人が消毒されてしまった世界でもあります。そんなところで一人の女と出会ったところでどうなることもないと思います。

私はエヴァ基地外アニメと呼んでいます。勿論、基地外だからすばらしいわけです。作品は倫理的でなくてもよいと思います。圧倒的なものが目の前に迫ってきて、座席からたてなくなるぐらいのものがよい。

ロボットが暴れた都市の下に人が生きていること。戦争とは一般人が犠牲になること。私たちが萌えと叫んでいるときにも、中国人たちはフィギュアのパンツに青縞を入れていること。これこそが現実だ!と突きつけることもできる。これらも一定の文脈と技量によっては極めて圧倒的です。ただ、これらを無視し、他者を消毒するのも圧倒的です。エヴァの魅力はここにあると思います。

ただ、 エヴァは他者にも開けれている。下の世代が「オッサンが誉めていたから観てみよう」と思って、絶句し、こちらを糾弾してくるかも知れない。パチスロから入った人間に「こいつらこんな気味の悪いものを観ていたのか」とか言われるかも知れない。それ相応の覚悟が必要なのかもしれません。

ポストエヴァと遠藤浩輝『EDEN』

さて、おそらくはエヴァの影響圏にある作品に『EDEN』というマンガが挙げられるはずです。『EDEN』に出てくる「原父」「ノマド」という言葉は、衒学+キリスト教風という点でエヴァそっくりです。

『EDEN』は他者を問題にした。しかし『EDEN』はポストエヴァになれなかった。連載開始当時、エヴァにひりついたものを見た人間は、この作品と作者に注目したように思います。
http://d.hatena.ne.jp/yasudayasuhiro/20080321#p1
と書きましたが、これの元ネタというかイメージは遠藤作品からきているものもあります。

『EDEN』という作品を無茶苦茶簡単に説明します。まだ完結していない作品ですし、自分の誤読も多く含んでいるかも知れませんが。

ウィルスによって世界は滅んでしまった。特殊体質で生き延びた少年と少女が、ゲイの科学者と共に孤島で生活しているところから『EDEN』は始まります。この風景は、まさにセカイ系的な想像力だと思います。しかし、世界は滅んでなかった。終末の世界に甘美なものをみていた少年は、世界に引っ張り出される。そして世界は復興しつつも、テロや貧困が渦巻くサバイバルを要請される悲惨な世界である。そこで少年は麻薬カルテルの首領になっていく。ここにおいて、「セカイ」的な想像力は放棄されていると思います。

主人公はこの男の息子です。彼の生きる世界も決してセカイ的とは呼べない。彼は好意を持つ売春婦のために、警察やマフィアと戦わなければならない。また、警察もマフィアも、ウィルスによる災害と、この世界の重さを背負っている。

色々はしょっていますけど、イメージとしてはこんな感じです。決断主義的と読みうることもできるかも知れない。ただ、この作品がエヴァの直後に描かれたことは注目できると思います。「エヴァ以降」は、『EDEN』のようなイメージに覆われる可能性があったと思います。世界は終わらない。そして世界は他者に満ちている。その中でサバイバルすること。

しかし、『EDEN』は『ハルヒ』のように「ポストエヴァ」と呼ばれなかった。そしてアフタヌーンの隅にひっそりと掲載されている。『げんしけん』のヒットの横では、このようなマンガが作られていて、それは今日も連載をされている。無論、ここから大化けする可能性もあります。

『EDEN』が『ハルヒ』のようになれなかったのは、そのストーリーが冗長であったためか?作者の技量の問題なのか?それとも読者の想像力のせいか?は取り合えず完結を待つべきでしょう。ってこれだけ言ってなんですが。

ただ、『EDEN』という作品が「エヴァ」直後に生まれたのは確かです。そしてその横を『ハルヒ』が駆けていったことも。このことは後々響いてくるかも知れません。なぜ『EDEN』ではなく『ハルヒ』だったのか?

(マンガ版のエヴァは読んでいない)

日々の動画

上のエントリには大量の事実誤認があるやもしれん。
さて最近観た興味深い動画を貼って寝る。

ゲッターロボの歌詞をまっくら森の歌の今日で初音ミクが唄うというオッサンホイホイ。なぜオタは谷山浩子に必ず出会ってしまうのか・・・


吉幾三 vs JACKSON5と混ぜてみた動画。吉幾三の都会への憧れとマイケルジャクソンの白人への憧れは同形である。彼らの悲しみが、人種とジャンルを超えて響き合っている。と言ってみるテスト。


これを聴いて初めて遠藤ミチロウという人に興味を持った。ところで遠藤ミチロウという人は吉本隆明宅で演奏したこともあるらしい。ちなみに護法ソワカちゃんには吉本隆明そっくりの執事が登場する。遠藤ミチロウといえばスターリン。反スタを叫んでいた学生は吉本隆明を読んでいたわけだ。護法ソワカちゃんには中沢新一をモデルとしたキャラクターが出てくるわけで、中沢新一チベットで修行をしたといわれているが、実はネパールでチベット仏教を学んだらしい。だからどうした。