city(まち)は煌くパッション・ブルー

佐伯啓思『「シミュレーション社会」の神話』を読む。なんじゃこりゃ。内容は横に置くとしても、この言い方はどうなんだろう。

食事をするときもトイレへはいる時もウォークマンを頭にひっかけたままで絶え間なく鼓膜を愛撫し続けているウォークマン中毒の若者は...

都市のワンルームマンションにささやかな王国を構え、真夜中の六本木のディスコでひと踊りした後は、ちょっと高級な外車で湾岸道路を疾走する。こんな悲しいほどに類型化された都市生活者がいるとしたら、彼の生は、彼のような都市生活者を主人公にした映画やテレビドラマの「シミュレーション」にすぎないのである。

ここではあらゆる文化的商品を―『「資本論」から「トットちゃん」まで』(吉本隆明)を、芸術写真から盗み撮り写真までを、タルコフスキーから村西とおる監督までを―...

本書には『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の解説のようなものも載っているのだが、とても痛々しい。流行に踊らなければならなかった地方の学者の情けなさが滲み出ている。昔、再放送で『バイファム』というアニメを見たことがある。そのOPソングのやるせなさに本書の物言いは匹敵している。

下らない用事で、堤康次郎のお膝元の西友に行ってきた。赤レンガで装飾した外面は、プラスチックの張りぼてとしか思えない今日の小売店舗と比べれば、遥かに壮観である。しかし中に入ってみると、テナントはまばらで、店のなかも小汚かった。食い物の屋台の隣で激安を謳った散髪屋が客の髪を切っているのには絶句した。一地方の80年代はかくして廃墟に変わった。しかし、この廃墟は嫌いではない。大友克洋とそのフォーローワーの描く倒壊したビル群よりも、腐った西友のほうが、美しい。そして現在、保守と認められる佐伯啓思も嫌いではない。

この保守一人で回る2.1

つくる会」周辺の本をダラダラ読んでいる。おかげで色々なことが分かってきた。それは米中韓の非道さや、国内左翼(サヨク)の嫌らしさ、というものではなく、つくる会に参列した個々人の思考が結構食い違ってきているということである。読んだ範囲では西尾幹二藤岡信勝という人間は全く違う方向を向いている。八木秀次も保守というよりは保守主義者なのであって、「保守は主義ではない」と言った福田恒存西尾幹二ラインからは外れているともいえる。こんな人間が集まっていたのだから「つくる会」も空中分解するわけである。

つくる会」は個々人の思考によって牽引されたものではなかった、と思う。mixiのコミュニティー検索でつくる会関係の個人名を入れて検索してみる。西尾幹二コミュの参加人数は22人である。坂本多加雄コミュの参加人数は11人。八木秀次コミュは5人。田久保忠衛藤岡信勝に限ってはコミュさえ存在しない。ここから推測できることは「つくる会」の魅力は「思想」や「個人」にあるのではなく、その「運動」にあったということである。

この「運動」好きを大月隆寛は「プロ市民」と言って罵倒したわけだ。そしてサヨクが「ネット右翼=バカ」というのもここら辺のことを言っているのだと思う。サヨクはこの「運動」好きな人間を啓蒙するよりは懐柔して自らの隊列に加えたほうがいいだろう。

そんなこんなで私はバカさえ読まない本をダラダラ読んでいる。結構面白い。成果はそのうちに。