難波功士『族の系譜学』のメモ

族の系譜学―ユース・サブカルチャーズの戦後史

族の系譜学―ユース・サブカルチャーズの戦後史

戦後の若者文化を順に辿っていったサブカル史的な本。辿っていった結果、著者は、若者文化が「族」から「系」に移っていったことを、留保つきだが、指摘する。

つまり、「暴走族・クリスタル族・おたく族」のようなものから「渋谷系・裏原系・アキバ系」へ、という具合に。

かつてのユースサブカルチャー(族)は、個人の階級や地域や資質に強く規定されていた。そして結束は強く、内部の規範に常時従わねばならなかった。
しかし
・メディアの普及
・社会の断片化
が進むと、サブカルチャー集団も凝縮性を失う。
これらをうけて「族」は無くなり、「系」が生まれてくる。「フィギュア萌え」族という言葉自体も間抜けなのは、このためであるとも思える。


「族」とは集合的なアイデンティのあるものである。「系」は消費のスタイルだ。

「族」とは成員になるものだ。「系」とはアクセスし、享受するものだ。

「族」とは「対面的な身体同士の共振がある」集団である。「系」とは「メディアによって表象される身体とモノのウェブ」だ。

自分流にまとめると、「族」は集団内でスタイルが作られ、「系」はメディアからスタイルを与えられる・または消費する存在だ。無論、メディアには「ネット空間」も含まれる。


その他、「渋谷系」と「オタク」の共振についても書かれてあって興味深い。カルスタ入門本としても読めるのではないか?


あと更科修一郎の『嫌オタ』での発言(オタは下流文化でもある)を取り上げて、都市中流文化であったオタの拡散を指摘している。

さて、ここで大塚英志の名前が浮かぶ。大塚の生家は、おそらく「中流」の家庭ではなかっただろう。しかし、大塚はオタク(訂正)「おたく」になれたわけだし、国立大学に通うこともできた。おそらく大塚は、自分が階級に囚われなかった存在であることを、「戦後民主主義」の恩恵と受け取っているように思える。(大塚自身が言っていたような?)