つげ義春『夏の思い出』とアレ

空から女の子が降ってきて、地面に倒れて気絶している。その女の子のスカートをめくって、パンツを眺めた後、家に帰る主人公。次の日降ってきた女の子の事で村は大騒動。主人公は、その行為が女の子にバレてないかビビッている。というようなアニメがみたい(元ネタ:つげ義春『夏の思い出』とアレ)

コードギアスの終わりほうを観た。80点。作中で語られている以上の感想を持たなかった。主人公は、世界よりも、友人達よりも、はたまた復讐よりも、妹を優先した。んで、この妹は目が見えないときている。ゼロに化けて、世界を半ば箱庭のように眺めた彼が、最終的に世界も主人公も眺められない(と主人公が信じているであろう)妹を優先したとするなら、主人公は徹頭徹尾ひきこもっていると思える。戦いを決断した彼は、戦いのなかで自分が眺めつつ眺められる存在であることを知りかけたかもしれんが、最終的には世界も主人公も眺められない=こっちを観ない(いわばモニタの中の萌えキャラの)妹を、世界やら他人よりも優先して選んだわけだ。ならば宇野氏が決断主義と定義したコードギアス何とかは、決断主義でもなんでもなく、決断主義の挫折なひきこもり物語だといえると思う。外したな宇野っち。とか言うと宇野の術中にはまる。人が決断主義とは?と考えることこそが彼の戦略だ。負けへんで。人間負けと思ったら負けなんや。よって上記の感想は無し。CC萌え!時間は著作権を裏切らないチックなキャラでした。ちがうか。それに何とかレイを足したキャラでした。