就職するかデモをするか引きこもるか全滅するか

例のデモの結論が

痛いヤツは何をやっても痛い。だからデモをするな、コミケに来るな、ネットに繋ぐな。ぶっちゃけ家から出て来んな。

ってことになるのは少し勘弁ほんの少しだけど

このデモのテーマはルーズさだと思うんだよ。「痛いヤツ」を規律で締め上げて「戦力」にするのは可能だけども、それはファッショ的だしさ。共産趣味者がファシズムをやるのは、洒落にならない。デモ騒動関連では洒落にならないことばかり起きているけど。

主義を持ち出さない。規律を求めない。個々人が団結する。これによって既存の「プロレタリアート」やら「マイノリティ」の枠組みでは捉えきれなかった、代表されるべき政党を持たない「少数派」が浮かび上がってくる、と。

オタクも苦しい。無職も苦しい。変態も苦しい。何だかわからんが苦しい奴もいる。この手の人間は、政治から除外されていたりもする。そういう奴らが、主張を叫ぶのは良い事じゃないか。ちょっと隊列を組んで、街中で騒いでもいいじゃないか。俺は嫌だけど。

ルーズな規律の元に、個々人が連結するには、個々人の常識(コモンセンス)ってもんが必要になる。「オタクは全員宮崎勤」と言われかねない時代があって、それに対して「いや、オタクの大部分は常識人」って物言いと現実が民主党ぐらいの議席を取るまでに(努力して?)なった。これをデモの中央の人は誤解して、「オタクに痛いヤツはいない。」と思ってしまったんじゃないか。これは甘かった。

逆にいうと、おまえらは期待されていたわけだ。おまえらは迷惑かけたヤツには謝罪済みだろうから(謝罪が済んでいない人間に見込みはない。)、自分たちで反省でもするといい。おまえらは期待を裏切ったのだ。「痛いヤツラ」は、その自意識と自尊心によって、真っ当に振舞える人間になっているハズだという期待。その「痛いヤツラ」が連帯できるという期待。そこから何かが生まれるという期待。

ま、俺は裏切られていないけど。ハナから期待してないから。まさに外道