第一話「桜花抄」雑感

とくに計画もなくやっているんじゃないかと思う。関東大震災の後に、また焼けてしまう街を作ってしまったように。その焼け跡の上にまた木造建築を建てたように。地方に旅にでると、道路標識ほど当てにならないものはない。国道は曲がりくねり、断絶し、市内まで後○KMという表示はあるのだが、いつ市内に入ったのかはいまいち分らない。バリアフリーなんぞはその建物の中だけで完結し、盲人用の道路の凹凸は適当に始まり、今一歩のところで終わっている。主人公の自室もそうだ。畳の部屋にオフィスチェアを置く主人公を私たちは笑えない。畳の上にカーペットを私たちは平気で敷くし、フロアリングの上にはホームセンターで買ってきたゴザのようなものが鎮座している。教室の中にある座りにくそうなイス。黒板消しのクリーナーを置くより、黒板をホワイトボードにしたほうが衛生的・効率的であると思うのだが。何よりも学校というものはボロイ。だから理想の青春を託した私たちの描く学校は極めて消毒され、スカした空間になっている。確かにそのような空間は存在はしている。しかしそのほとんどは、場違いな場所に意味も無く建てられたいわゆる「ハコモノ」の中だけにである。主人公がGショックのような時計をしているのが良い。学生服にコートにGショック。よく考えればこの間抜けな格好には「何か」が宿っている。そう「リアル」だ。

中途半端に止まっている工事現場を描いた後に、森の中の幻想的な木漏れ日を新海は描く。そして主人公たちの間抜けな顔が映る。そして二人はマクドカンブリア紀の話をする。このような話を男とするような女はいない。でもいてほしい。

汚れた駅の鏡に、主人公の書き割りの顔が映る。隅には金色で寄贈者の名前が書いてある。水滴が掛かった鏡を通して、アニメの顔がこっちを見ている。

電車は独立したポリゴンだろうか。ごろんとした機械のかたまりが、風景の中に浮いて、在る。主人公の手紙は風でぶっ飛ばされ、後ろに250ミリリットル缶が映る。

誰かが掃除をサボって、誰かが掃除をしている世界。誰かが企画し、失敗し、それでも誰かがよく維持している世界。これこそ「リアル」。と新海は言わず、そこにありもしない初恋と、青春と、性的なアニメ面を持ち込む。リアルな風景に、アニメ的世界が持ち込まれ、強いコントラストを産むのではなく、主人公が、ヒロインが、呟くたびに、その二つは溶解して、新海の世界になっていく。

時間はハッキリとした悪意をもって、僕の上ゆっくりと流れていった。僕はきつく歯を食いしばりこの時間を耐えた。

雪の中に立ち往生した車内で呟く主人公の言葉は独善だ。結局主人公が約束に遅刻していくわけだから、彼女の事をまず主人公は心配せねばならない。それなのに、自分が苦しいという。ただ、雪の中の孤立した電車は、ある種の幻想で、その閉じ込められた世界で、自分だけが苦しいという独善は、電圧を帯びる。そう「セカイ系」だ。個人の間に何もない、ボクとキミが直接溶け合う世界。まず僕が苦しい。そして僕が苦しいから君も苦しいハズだ。

電柱を映した後に、桜の木の幻影が出現する。雪の世界で、「リアル」は溶解していく。キスをした後に、納屋に泊まり、事は起こらない。アニメで事が起こらないように。山崎まさよしの歌が流れる。この歌に感動したわけでも、間抜けなものを聞いてしまったようにも感じなかった。ただ、新海がいる、と。そしてHDDの中にはアニメ絵の図像がころがり、深夜の外には雨が降っている。無論雪に変わるわけがない。