どどど

地獄の黙示録』が公開され、村上春樹がデビューし、ウォークマンが発売され、大友克洋の『ショート・ピース』が出版され、サッチャーが首相になって、イランで革命があった年にガンダムは放映されたわけだ。

ファーストガンダム(世代)と聴くとなんだか「種厨死ね」的な無闇に偉そうなオタクのオッサンを思い浮かべるのだが、この手のものを通過したオッサンが果たして「偉い」のか?「萌え」とかいってるヤツに対して真の抑圧者として振舞えるのか?といえば怪しい。そして反省したフリで「やっぱりファーストガンダムは観なきゃいけないんでしょうか?」という問いに胸を張って「YES!」と答えられるオッサンはおそらくいない。

ところでエヴァンゲリオンにゃ、アイデンティティの問題があった。個人の問題にこれを向けりゃ「大人になれ」ってことだし、社会の問題にこれを向けりゃ「ナショナルアイデンティティ」や「ナショナリズム」の話になってくる。

エヴァ=萌え」と喝破した評論は、この手の現実の前にクリティカルだった。どうもこの現実をズラす役割を持っているらしい、と私は誤解した。

あえて「萌え」てやろうと思ったら、どうもこれは気持ちよすぎるみたいである。「萌え」は新しい現実になってしまったようだ。やばい。このようにしてニートかつオタクかつ嫌韓が生まれてくるとおもうのだけどどど。