トーゴー

http://d.hatena.ne.jp/izime/20070315/p1
同時代の珍走族の問題にしてもそうだけど、「法」ってもんはこの時何をしていたんだろうと。

現代の広義のナショナリズム系の物言いはこの辺りを解きほぐしていかないとダメなのかもなあ。「暴力団新法」やら「少年法」やら「児ポ規制法」やら「国旗国家法」なんてのは法治の精神でもある、と。「公」を持ってきて「私」世界の不正(と思われるもの。勘違いも多し)を正そうってことだ。たぶん。

ついでに言っておくと現状の「公」ってのは本当に「公」足りえているのか?というのが今の議論だ。「公」と「私」の対立ではない、と思います。勉強しようorz